第4話-8



「ハルキ!血を吐いてるって本当なの!」


 ナツオが発したその言葉に場が静まり返る。武田も思わずハルキを見つめていた。

「どうして病院に行かないの!?結構前からなんでしょ!!」

 そういえばこの前リックがハルキからタバコを取り上げた際に「これ以上悪くなる気ですか」と言っていたのをナツオは思い出していた。
 あれは不良になると言う意味ではなく、体調の悪いハルキを気遣う言葉だったのだ。そう考えると普段気の弱いリックが、あの時ハルキに対して強硬手段を取っていたことに納得がいく。

「・・・・リックだな。アイツ口止めしていたのに簡単にしゃべりやがって軽い奴だ」
「そんな言い方ないでしょ!リックだって心配して――」

 ハルキは苦々しい表情になる。その様子に「やはり真実だったのか」とナツオは確信を得た。

「いや、ちょっと待て高橋、お前の話ってそれか?」

 今まで黙って聞いていた武田が、突然呆れた声で口を挟んできた。

「え?そうだけど・・・?」

「お前阿呆だろ!!」

「ええっ!!?いきなりなんで!?」

「『お前』じゃなくて『コイツ』本人だけが人に聞かれたくない話じゃねーか!それなら二人になる方法なんていくらでもあっただろうが!」
「???」
「『人前で話されたくなかったら大人しくついてこい』くらいのことも言えねーのか!!」
「ご、ごめん、焦ってて思いつかなかった・・・」

 そうやってたった一言脅すだけで、武田の助けなど借りずともいとも簡単にハルキは従っただろう。今までの無駄な労力を思い出し武田は脱力した。

「で、今はどうなんだよ神原」
 話を戻し武田がドスの聞いた声で尋ねる。

「・・・・・大げさなんだよ、もうとっくに治った」
「嘘付けよ!その言い方は絶対治ってねーだろ!」
「・・・・・・」
「つーか、お前病院も行かねーなんて、周りに移すのが目的か?だから誰にも知られたくないって?」
「ちっ!違う!!そんなんじゃない!あの時はちょっと胃の調子が悪かっただけで人に移るようなものじゃない!!本当だ!もうおさまってる!だから行かないだけだ!」

「だってよ、高橋。そう焦んなくても、ちょっと血ぃ吐いたからって必ず深刻な病気とも限らねーし、コイツだってガキじゃねーんだから本気でマズイと思ったら病院くらい行くだろ。」

 武田は楽観的に考えているようだが、ナツオはどうしてもそうとは思えなかった。ナツオの勘が警鐘を鳴らすようにそう告げている。だからいても立ってもいられず駆けつけてしまったのだ。

「でも・・・」

 ナツオが言い淀んでいる一方で、ハルキを後ろから拘束している武田は自然と彼の頭部から首あたりに視線が向いていた。そのタイミングでハルキが少し俯いたので今まで見えなかった首の付け根あたりまでが視界に入り「それ」に気づく。

「はー・・お前学校休んで何やってるのかと思ったら遊んでんのか?」

 突然脈絡無くそう言い出した武田にハルキは疑問の表情を浮かべる。しかしそれは次の瞬間までの短い間だっだ。

「首にキスマークついてんぞ」
「っ・・・・!!!」

 ハルキを見下ろせるほど背の高い武田だからこそ確認できたが、普通はシャツの襟首に隠れていて見えることは無いだろう。『そんなもの』をまさか見られるとは思っていなかったハルキは、慌てて自分の手で首を覆う。完全に触れてほしくない話題であり、ハルキにとっての禁忌に触れてしまった瞬間だった。

「ええっ!キスマーク!?」
 そうとは知らずナツオは武田の発言に盛大に反応してしまった。

「ぷっ!まさかお前がつけたんじゃねーよな(絶対違げーだろうけど)」

「ええっ!違うよ!私口紅つけた事とかないし!っていうか絶対違うって分かってるくせにからかわないでよ!」

「そっちのキスマークしか知らねーってお子様かお前は。口紅なんて無くたって誰でも付けられるんだよ」

「え?どういう意味・・・・って!!そんな事今どうでもいいよ!!」

 ナツオは、ハッとして我に返った。話の脱線をしている場合ではない程、時間が無いことに気がついたのだ。その切り捨てるような言い方が、ただでさえ機嫌の悪かったハルキの神経をさらに逆なでしていると気づきもせず本題に戻ってしまった。

「ハルキ!人に移らないから良いって事にはならないでしょ!今だって時々咳してるし!なんでちゃんと病院――」
「うるせー!!!」

 ハルキは怒りに任せて思い切り武田の手を振り払った。ここまで本気だとこれ以上の拘束は武田でも難しかった。

「だいたいなんで、お前なんかにそんな事を言われなきゃならないんだ!」
「ご・・ごめん、でもハルキが心配で・・・!」
「お前は俺のなんなんだよ!!友達ごっこの次は彼女ごっこか!?二つ結びなんかして女ぶってんじゃねー!!目障りなんだよ!!」
「はあ・・・まあ似合わないって自分でも分かってるよ。詩乃ちゃんにプレゼントされて褒めてもらったからちょっと調子に乗っちゃったんだけどね・・・」

 そう言いながらナツオは髪留めに手をかけて結び目を解き出す。なるべく平静を装ってそう答えたが内心はかなり苦しい。今にもその場から逃げ出したい気分だった。

 ふいにナツオはハルキに腕を思い切り掴まれた。その衝撃で手に持っていた髪留めがはじき飛び、詩乃のくれた花柄のそれは地面に落ちて無残にも砕けてしまう。しかしナツオはそちらに意識を向けている余裕が無い。

「お前なんか大っ嫌いだ!!お前結局いつも『詩乃ちゃん』じゃねーか!!そんなにアイツがいいなら俺にいちいち構ってくるんじゃねーよ!」

 ハルキは、手加減がない程強く掴んだナツオの右腕をそのまま背後の壁に押さえつけてナツオを怒鳴りつけた。身長差もあるせいか責められるプレッシャーが凄まじい。
ナツオはその勢いに圧倒され、されるがままになってしまう。

(えっ・・?なんで今詩乃ちゃんの話になるの・・・?)

 詩乃の名前を出した事でさらにハルキの機嫌が悪くなったことが理解できず、ナツオはなかなか言葉を発することができない。

「はあ・・・嫉妬丸出しだな。つーかお前、女友達に妬くって相当だぞ」
「なっ・・・・!!!!」

(・・・え?)

 武田が口を挟んだことで、ハルキがあからさまに動転した声を上げた。そのやり取りにナツオはぽかんと口を空けてしまう。

「だっ・・・誰がっ!!」
 ハルキはナツオから勢い良く離れるとそのまま武田に食って掛かった。

「そういやこの前もメガネ女のことで手一杯になってた高橋に、カヤの外扱いされて『俺なんかいらねーんだ』とかって、その後いじけてたよな。」
「ち・・違っ!!!」
「そんなに未練があるなら、もうガキの頃に置き去りにされた事くらい許してやりゃ良いじゃねーか、ホント面倒くせー奴だな」

「違うって言ってるだろ!!だいたいお前に何が分かるっ―――」

 興奮状態で怒鳴っていたハルキだが、そのセリフを言い終わる前に、突然咳き込み始めてしまった。

 その様子がただ事では無いのは誰の目にも明らかだった。ハルキはそのまま一番近くにあった流し台(理科室なので各テーブルごとに流し台が設置されている)へ駆け込むと必死な手つきで蛇口をひねり水を出す。しかし、すぐには流しきれないほどの『それ』が流れ出る水を赤い色に染めた。



――血だ



 ハルキが吐血する様子を間近に見てしまった二人は言葉を失う。教室のドアが開かれる音が響き渡ったのは・・・・その時だった。



「ハルキ大丈夫か!・・・・っ!!?」


 雪村と八峰が教室の内になだれ込むように入ってきた。その直後ハルキの様子を見て雪村は顔面を蒼白にした。内の会話は教室の外までは聞こえなかったが、大声を上げているところは聞き取れていたので、ハルキが追い詰められている状況はある程度把握できていた。だがこれは彼が想像した以上に酷い光景だった。

 雪村が慌ててハルキの元に駆け寄ると、「もう大丈夫だ」と何事もなかったようにハルキが蛇口の水を止める。口調こそ冷静だが息が乱れており、強がっているのは明らかだった。

 雪村は胸のうちから湧き上がってくる激しい怒りを止めることができなかった。軽蔑を露にし、怒りに満ちた視線を元凶の二人に向ける。ナツオと武田は鋭く抉られるような凄まじい威圧感を受け、思わず体をビクつかせた。

「こんなことをしてっ・・・!!自己満足で人のプライベートにズカズカ踏み込んでくる奴が『心配』なんて言葉を使うな。反吐が出る!!」

 雪村がはき捨てるように言い放ったその怒りの言葉には、強い憎悪がこもっていた。以前ナツオが受けた怒りの比ではない。
 ナツオは、思わずその場で固まってしまう。武田もナツオほどではないにしろ同様の状態だ。



「俺はこんなに人を軽蔑したのはアンタらが初めてだ・・・!!」



 雪村はそういい捨てて、ハルキとともに教室を出て行った。







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