第5話-3



 放課後


 昨日の事があってからナツオは、言いようの無い焦燥感に駆られていた。そのせいで普段は真面目にこなしている学校の宿題の事さえ頭から抜け落ち、一人教室で居残り勉強をするはめになっていた。その居残りの最中でさえなかなか集中できず、気づくと一時間以上時間が経っていた。

そんな時。

「ナッちゃん!!見て見て〜!!」
 教室の扉が、勢い良く開かれ理緒がナツオの前にやってきた。

「わあー!理緒!どうしたのその格好!」

 ナツオは、机に座ったまま理緒の姿を見上げて驚いた。
理緒は赤い花が散りばめられた淡いベージュ色の着物を身にまとっていた。赤色を大胆に使いながら派手になりすぎず、秋を感じさせる落ち着いた色使いで全体が統一されている。そしていつものサイドテールの髪型に着物の柄とおそろいの花をあしらった大きめの髪飾りをつけており、とても華やかだった。


「えへへー!これ!私が自分で着付けしてきたの!」
「自分で!?すごいね!・・・・でもなんで?」

 学校で着物を着ているのか?そう問おうとしたナツオを見透かしていたように理緒は一枚のチラシを取り出し、ナツオの目の前に掲げてみせた。

「『秋祭り着物で参加キャンペーン』?」
 ナツオはきょとんとした表情でチラシの題名を読み上げた。

「ええっ!ナッちゃん知らなかったの?このチラシ、今校内にいっぱい張られてるのに」

「そ・・そういえば廊下の掲示板で見かけたかも・・・内容まで読んでなかったケド・・・」
「もう!ナッちゃんらしいわね。今度の秋祭りに着物で参加すると当日特典が貰えるっていう企画なのよ。うちの市が主催しているから、さっきボランティアの人たちが学校に来てくれて着付け教室をやってたの。ほらチラシにも日時が書いてあるでしょ?」

 理緒の言うとおり企画の一端として、今日の放課後に着付け教室を開催する旨が書かれていた。教室から顔を出し廊下を見てみると、理緒と同じく着付け教室に参加した生徒達が色とりどりの着物で歩いている。かなり大勢が参加したようだ。


「へえ・・・すごく可愛い、自分で着付けなんて難しそうなのにすごいね」

 改めて理緒を見つめながらナツオは感心した。その非日常感のある姿が新鮮で、曇っていたナツオの心にお祭りの高揚感がわずかに湧き上がってきた。

「うふふ!着物って言っても浴衣が秋物になった程度のものだし着付けも価格もお手ごろなのよ!ナッちゃんもコレで今度の秋祭り一緒に参加しましょ!」

 理緒から突然の提案を受けたナツオは困惑した。理緒の着物姿を見て少しの憧れは抱いたもののナツオには色々とハードルが高い。


「えっ?でも私着物持ってないし、自分で着れないし」
「だいじょーぶ!!理緒ちゃんに任せなっさーい!」

 自信満々にそう言い切った理緒は、ナツオの着物選びから当日の着付けまで請け負ってくれた。それはもうノリノリで。

「ってことで!これから着物を買いにいくわよ!」
「えっ!今お金・・・」
「だいじょーぶ!立て替えておくから!さあビーチモール行くわよ!
レッツゴー!」

 そういうと理緒はナツオの手を引き歩き出す。理緒の底抜けの明るさにナツオの心は少しだけ軽くなる。そんなナツオの表情を見てとった理緒もまた少しだけ安心していた。


(とりあえず成功かしら?何の役にも立てないけどナッちゃんが少しでも元気になってくれてよかったわ)






――時を同じくして。

 ハルキと武田は生徒指導室にいた。昨日教室での一件が担任の耳に入ってしまい呼び出されていたのだ。幸いというべきか「ハルキと武田が掴みあいのケンカをしていた」という程度の情報しか伝わっていないようで、ナツオや雪村達は話の中に入っていなかった。

 事実はどうあれ、ハルキと武田はお互いにその事実を否定した。双方共に怪我もないということで、教師の方もあまり大事にはとらえておらず、形式的な尋問の後二人はあっさりと解放された。

 指導室を出ると武田は用が済んだとばかりに去っていった。今日はハルキと目も合わすことさえなかった。

(いつもの武田だな)とハルキは思う。

 もともと武田は他人に干渉しない人間だった。そう思っていたからこそ昨日ナツオに加担した彼に驚きを隠せなかったのだ。

 武田の後姿を見ながらそんな事を考えていたハルキは、自身も下校するため昇降口に向かい廊下を歩き始めて気づく。すれ違う人の中で着物を着た生徒達がいる。ふと廊下の掲示板に目をやると秋祭りのチラシが張り出されていた。

(秋祭り・・・か)

 開いた窓から風が吹き込んできた。ハルキの頬をなでていった十月の風は冷たく、もうすっかり秋の物となっていた。秋祭りの事など頭にもなかったが、チラシに書かれていた開催日をみるとあと一ヶ月もないと気がつく。

(そういや、アイツと行ったっけ・・・)

 ハルキは想う。奇しくもその時、理緒に手を引かれながら秋祭りの準備に向かうナツオも彼と同じ事を考えていた。


―――あの時は
―――未来がこんな風になるなんて思っていなかった。と。


 空に純白の小石を撒いたような雲が夕暮れの色に滲み始めている。それは何度も巡っては還る秋の美しい空模様そのものだった。二人が楽しそうに笑いあったあの日と何一つ変わることは無い。


◇◇◇◇◇◇◇◇



「ハルキ、ちょっといいか」

 足を止めていたハルキが再び歩き出そうとすると、背後から声がかかる。振り返るといつになく神妙な表情をした雪村がいた。

「雪都か。どうかしたか」

 そう答えたもののハルキは察していた。今日一日雪村が何か言いたそうな顔をして、度々視線を向けていたのを感じていたからだ。

「・・・なんで病院行かないんだ?」
 雪村は意を決したように切り出す。

「ははっ・・・とうとうお前までそれかよ」
 やっぱりか、とハルキに乾いた笑いがこぼれた。

「笑い事じゃないだろ。心配してるんだよ。せめて理由だけでも教えてくれないか。昨日だってあんな・・・」

 血を吐いていたのに――。雪村はそこまで言えず口を閉じる。どう考えても到底解らない。命に関わることを放棄する理由など。


 ハルキは雪村の思いつめた表情を前に、どうしたものかとため息をつく。

(これだから知られたくなかったんだよなあ)

 雪村の思いやりにふさわしい言葉を返せないとわかっていたから。そしてその思いやりすら疎ましく感じる自分自身に嫌気がさしてしまうから。


「理由か・・・・理由ってほどじゃないけどオレんちさ、ホントの親子じゃないんだよな。・・・血がつながってないっていうか。まあそのせいで色々あるんだよ」

「え・・」

 ハルキからの思いもよらない回答に雪村は驚いて言葉が続かない。

「だからさ。『ここまで』言えばお前なら解ってくれるだろ?」

 ハルキは試すような視線を雪村に送る。それ以上話すつもりはない『ここまで』だというメッセージだ。

「でも・・・!」
「それともお前も、『他人のプライベートに土足で踏み込む奴』なわけ?」

 雪村の言葉を強く遮るようにハルキが話し出す。
昨日雪村自身がナツオ達に向けて発した言葉をそのまま返されれば、それ以上追求はできない。

(だけど・・・俺は・・・それでいいのか・・・?)

 しばらく無言で葛藤を続けた末、雪村は言葉を呑み込んだ。これ以上問いただしてもハルキとの関係が悪化するだけで何も解決できないだろうと悟ったのだ。

「・・・・わかったよ。これ以上、あれこれ言うのは止める。だけどちゃんと解決しろよ。お前の事信じてるからな。」

 そういいながらも雪村は無力感に襲われていた。それはポーカーフェイスが得意な彼でも隠し切ることができないほど強いものだった。







◇◇◇◇◇◇◇◇






―――俺は・・・ハルキの友達として、どうするのが正解なんだろうな・・・。




 武田は先日雪村が発した言葉が頭から離れずにいた。

(正解・・・か)

 雪村の様に、ハルキの意思を尊重して相手の心に踏み込まずにいる事。一般的に考えればそれが『正解』だろう。ナツオの様に相手が望まない領域に入って行くことに正解者が憤りを覚えるのも武田には理解できることだった。
 ただし、その『正解』が果たしてハルキの抱える何かを解決するために『正解』なのかといえばそうは言い切れない気がする。
 ならばナツオの行動こそ『正解』かと言われればそれも解らない。いや、普通に考えれば拒否された領域に踏み込むことで、事態を余計に悪化させてしまう可能性が高い。


(そもそも、正解なんてもんがあるかもわかんねーしな。)


 武田はため息をつく。無理は承知していた。それでも昨日ナツオの呼びかけに答えてしまったのはその呆れるほどの直向(ひたむ)きさと無謀さが似ている――。と感じてしまったからだ。

 脳裏に以前のハルキの姿が浮かぶ。ハルキも昔は後先考えず直情的な一面を見せる事があった。チビのくせに一切怯まず自分に立ち向かってきた事にも驚いた記憶がある。ナツオに何度か会ううちに、この二人が以前は仲が良かったというのは多分本当だろうと実感した。姿かたちに似たところは無いにも関わらず随分と昔のハルキに重なる部分があったからだ。

 だから、少しだけナツオに希望を託したくなったのかもしれない。武田自身も何も出来ない自分にもどかしさを感じていた。そして昨日の行動が失敗したことでハルキに対する罪悪感も生まれた。失敗すればするだけ罪を背負うのだ。そのジレンマを乗り越え、覚悟を持って更に突き進むことがどれだけ難しいか。

(高橋もだいぶダメージくらっただろうしな)

 昨日、一時的にだが同じ立場になってみて思う。結構しんどい。

 最初こそナツオをただのいかれたストーカー女だと思っていたが、この葛藤を抱えながらハルキに接していたと考えると、なかなかの胆力だと感心してしまう。普通ならここまでくる前、もっと早い段階で諦めていてもおかしくはない。

そう思うとなおさら――


「アイツでも無理ならもう・・・・」

 武田は誰に語るわけでもなく独り呟いていた。




←前へ  次へ→