第5話-6



 それはハルキが中学二年生の冬休みのことだった。

 午後三時頃、玄関のチャイムが鳴った。扉を開くと見知らぬ若い女性が立っておりハルキの顔を見るなり、涙ぐんだ瞳を向けて近寄ってきた。


「ハルキ・・!?ああ!貴方がハルキね!
会いたかったわ、ハルキ!私が貴方の母親なのよ!」


 突然現れ、今にも抱きつかんばかりに近づいてきた女性から距離を取る様にハルキは後ずさった。

 ハルキは母親を写真でしか知らなかったが、そこから伺える母は小柄でおっとりとしていて真面目そうな外見の女性であった。
 一方目の前にいる人物は、女性にしてはやや高めの身長に細かいウエーブがかかった長い髪をしており、人目を引く派手な美人だった。ハルキの知る母親とは明らかに別人だ。

「いや・・・突然現れてそんな事を言われても」

「そう・・・そうよね、何も聞かされていないのね・・・可哀想に・・・。
私は倉谷見栄(くらやみえ)、貴方が赤ん坊の頃に引き離されてしまったけれど本当の母親なのよ!どうか信じて・・・!」

 女性は頬から流れ落ちた涙をぬぐい、悲しそうにハルキを見つめた。しかし突拍子も無い話をされたハルキは訝しげな視線を目の前の女性に向ける。

「うちの母さんは、俺が小さい頃に亡くなってるんだけど」

「そう・・神原家の奥様は貴方が幼い頃に亡くなっているのね。でも貴方はこの家の本当の子供ではないのよ。貴方を生んだのは私なの」

「えっと・・・・・今、うち誰もいないんで、そういう怪しい話はまたにしてくれ」

 ハルキは気味が悪くなり、そう言い捨てると玄関の扉をしめようとする。だがドアノブにかけた手を女性に握り締められ、必死に懇願をされてしまう。

「待ってハルキ!証拠ならあるの、貴方の戸籍を確認すれば分かるわ!貴方は神原家に『養子』として登録をされているはずよ。信じられないならこれから一緒に市役所に調べに行きましょう!」

 今まで話半分に聞き流していたハルキは、彼女のその言葉で急に鼓動が早くなるのを感じた。

 『証拠』がある。それも戸籍となればその真偽は疑いようも無い。

「い・・・いや、父さんが帰ってきたら直接聞いて・・・」
「ダメよ!貴方は今まで何一つ知らされていなかったじゃない。何も真実を告げない人の言う言葉を信じられるの?」

「真実・・・真実って・・・」


 嫌な汗が背筋に流れていた。それでもなんとか冷静を保とうとするが、目に見えて焦燥し出している、そんなハルキに対して彼女は更に愕くべきことを話し出した。

 ハルキは神原家の長男一輝の息子として育てられているが、本当は次男である神原恵悟(かんばらけいご)と彼女の間に出来た子供なのだという。






「ちょっと待ってくれよ・・・・それって冬悟の父さんが俺の父親ってことかよ?」
「そうよ私が貴方を身篭ったと知った時、ケイゴの奥様が出産をしていたわ。私達は許されない関係だったのよ。」


 「でも」とハルキの手を強く握り締めたまま彼女は続ける。

「真剣に愛していたから私は貴方を産んだの。それからまもなく病気を患って入院してしまって、私には他に身よりも無かったし貴方を育てる事ができず、やむなくケイゴが引き取ることになったわ。・・・けれど・・・不倫相手の子だからしかたないとはいえ邪魔に思われてしまったのね・・・」

 女性は苦い口調でハルキに告げる。ハルキの背筋が凍る。指先も冷え切っていて感覚がなかった。それを気にする余裕もないほど動揺している。

「じゃ・・・うちに俺が来たのって・・・・」


 聞きたくないが聞かなくてはいけない。そんな思いで口を開く。


「弟の家庭がぐちゃぐちゃになり出しているのを見かねた長男が、このままではマズイと思って・・・・仕方なく引き取ることになったの。

・・・・・・・・それが今の貴方よ」


 ハルキは両手をきつく握り締めていた。



―――家庭がめちゃくちゃ
―――仕方なく引き取る・・・


(そんなこと・・・あるわけがない・・・)



 あるわけがない。「でも、まさか」という思いがせめぎあっている。
顔面が蒼白になり体も冷え切っているのに狂ったように汗が滴り落ちてくる。

 気づいた時には女性に促されるまま、市役所へと足を運んでいた。戸籍謄本の発行はそれ程難しい手続きではない。すぐに一枚の紙がハルキに手渡された。

『養子』

 女性の話が全て真実なのだと証明するようにその二文字はそこに存在していた。

 こんなにも一枚の紙を重く感じたことがあっただろうかと思う程にそれは重く、知らないうちに指先が震え出していた。

(本当の子供じゃない・・・どうして父さんは教えてくれなかったんだ・・・)

 疑問と不安がハルキの頭をいっぱいにしていた。心配そうに見守っていた女性が「ちょっと休憩しましょうか」とハルキの手を取り歩き出した事に、されるがまま呆然と従う。





「さあ着いたわよ」



 女性のその声でハルキは我に返った。

「え・・・・ここは」

 そこはホテルの一室のような場所だった。どうやって来たのかほとんど覚えていないが部屋の時計に目をやると午後5時を過ぎたあたりだった。もう帰宅しないといけない時間だというのに、ここに泊まれということなのか。


「すこし休憩って・・・なんでホテル・・・?」


「はああ!疲れた!休憩するのはアタシよアタシ!アンタはこれから『働く』の!」

 先ほどまでの気遣わしげな態度から女の態度が急変した。言葉遣いも荒くなりハルキを見つめる瞳には嫌悪感が宿っている。

「何を言って・・・・」

 事態の呑み込めないハルキを意に介すことなく、女はそれまで着ていた地味な厚手のコートを脱ぎ捨てる。するとその下は豊満な胸元を露出したデザインの服装にブランド物の派手なネックレスをつけていた。良く見ればいつのまにか化粧も先ほどより濃くなっており、両耳には大きなリングのピアスまでついている。

 あまりに毒々しく豹変した女の姿にハルキは身の毛がよだった。



「おおー来た来た」

 その時、部屋の奥から三人の男がでてきた。イヤらしい笑みを浮かべながら、ハルキの周りを取り囲んだ。

「へーなかなかいいじゃないか」
「これで中2?ずいぶん幼く見えるな」
「まー俺達はその方がイんだけどなー」


 柄の悪そうな男達はハルキを見下ろし、値踏みするよな会話を好き勝手に繰り広げる。


「なんなんだ・・・おまえらは一体・・・」


 ハルキが恐怖を感じた時にはすでにもう遅かった。
 アリ地獄に引きずりこまれたアリが、どんなにもがこうが意味を成さないように。



 この日を境にハルキも引きずり堕とされた。


―――地獄へと。







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