第5話-8



 ハルキがやっとの思いで帰宅した時には、午後11時を過ぎてしまっていた。


「ハルキ・・・!お前何の連絡もせずにこんな時間までどこへ行っていたんだ!?」
 玄関を開けるとすぐ、大層心配した様子の父が慌てて駆け寄ってきた。

 ハルキは父の顔を見ることが出来ない。とっさに首に巻いていたマフラーを引き上げて口元までを隠す。服を着ていれば見られることはないとはいえ、体中に刻まれているおぞましい跡を、見られたくないという心理だった。

「な・・・なんでもない」
「なんでもないってお前っ!顔、怪我しているじゃないか!一体どうしたんだ!?」

 ハルキは詰め寄ってきた父を振り切り、自分の部屋へと直行した。そのままベットに仰向けに倒れこむともう二度と起き上がれないのではないかと思う程、それきり体を動かすことができなくなった。本当なら立っているのもやっとだったのに、無理をしてここまで帰ってきた反動だった。



「ハルキ!おい!大丈夫なのか!!?開けなさい、ハルキっ!」

 部屋の外で父が必死にドアを叩いている。鍵をかけていなかったら確実に入ってきていたであろう剣幕だった。

 ハルキを心配していることが痛いほど伝わってきたが、今は体を動かすこともできなければ、父の顔をみて話すことさえ出来ない状況だった。
 父の問いかけに対応できないことが心苦しかった。同時に弟の子供だからそうしてくれるのであって赤の他人と知ってたら同じ事をしてくれるのだろうかという強い不安が入り乱れて手足が勝手に震え出した。


――――寄生虫

そういわれた言葉が脳裏に蘇る。
本当はこの家の子供は朱美ひとりだったのだ。ハルキに取って一輝は紛れも無く父親であったが、一輝にとってハルキは一体なんなのだろうか?そんな疑問が生まれてはじめて浮かび上がってきた。

 あの女は一輝を宿主と言っていた。寄生虫がよりどころにする先だと。宿主にとって寄生虫は害以外の何者でもない存在だ。


(俺も父さんにとっては害だよな・・・父さんが本当の事を知ったらどうなってしまうんだ・・・俺の事をどう思うんだろう・・・)

―――そんなこと聞けるわけが無い

 もしハルキが女を拒絶すれば、迷うことなく何らかの理由をつけてこの家に金をタカりにくるだろう。その何らかの理由というのは、もちろんハルキに関連する難癖をつけて脅すことだ。そうならない為には、ハルキ一人で女を満足させるしか方法が無いのだ。

(あの女の事で、父さんに迷惑はかけられない)


―――お前はもう少し手のかからない子だと思ってたんだけどなあ・・・


 もう二度とそんな風に失望されたくなかったのだ。なにより父に嫌われてしまう事が怖くて堪らなかった。


 扉の外では、まだ父がハルキに向かって懸命に声をかけていたが、ハルキが反応しないことでやむなくして、扉の前から去っていった。





(ゴメン、父さん・・・ゴメン)



 ハルキは仰向けになったまま、その苦しさに耐えかねて目をつぶる。

(1、2、3・・・・・)

 必死に数を数えることに集中したがダメだった。両目からあふれ出た涙がハルキの頬を濡らしてしまう。


―――ハルキ
―――男は簡単に泣いたらダメだぞ
―――男の子はどんな時も強くなきゃな!

 遠い日の父との約束がハルキの脳裏に鮮明に蘇ってくる。

(父さんとの約束を守らないと・・・・)

 そうして無理やり涙を止めると、少しの吐き気を感じた。

 何があっても約束を守りたい。父には迷惑をかけたくない。その気持ちだけが今にも壊れそうなハルキの心を、突き動かす。
 ハルキは、一生ただ独りで暗闇に身を堕とす。そう覚悟を決めたのだった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇







「やだ!もうこんな時間だわ!」


 左腕につけた腕時計を見ながら理緒が声をあげた。
楽しさのあまり時間を忘れていたが気がつくと時計は午後八時半をさしていた。

 お祭りもほど良くお開きのムードになっている中集まった人々も徐々に引き上げ始めている。ナツオたちも同様に神社から最寄のバス停へと歩き出していた。
 鳥居をくぐり石畳の階段を降りていくと、神社の提灯は途絶え、バス停のある車道に出るまでの通路には、街灯が目的地を案内するように点々と設置されている。他はこれと言って何も無く、竹やぶに囲まれた薄暗い道につながっているだけだった。



「結局最後まで居座っちゃったわね」
「ホント!あっという間だったわ」


理緒と花菜子は、お祭りの余韻を味わうように談笑する。詩乃も楽しそうに相槌を打っている。
 ナツオは再びハルキの事を思い出していた。
やはり見間違えだったのだろうか。いや、そうでなかったとしてもあれから二時間以上時が経っている。もうとっくに帰っていてもおかしくない。

 ふと、周りに広がる竹やぶを見上げた。以前ここに来た時は竹やぶというものが珍しくて(北海道には竹が自生していないため)はしゃぎながら写真を撮っていたことを思い出していたのだ。

(えーっとどこら辺から撮ったんだっけ。)

 ナツオはさらに薄暗い方の道へと目をやった。道といってもかなり無造作に造られており、その先はどこも行き止まりになっているようだった。
その一角に、自販機がひっそりとあるのがナツオの目に映る。辛うじて局所的に光りが灯っているが、真っ暗で夜に立寄るには抵抗がある場所だ。

(あ、そういえばあそこら辺かも・・・!)

 ナツオは遠い記憶をたどるようにそれを思い出していた。

(前に来た時はまだ明るかったから、あそこの自販機で飲み物を買って写真を撮ったんだった!)

 「どうしたのナッちゃんさっきからそわそわして?」
 理緒が不思議そうに問いかけてきた。母親が子供に「トイレでも行きたいの?」と言うような口調だった。

「あっ!!いや、なんでもないよ!私ちょっとだけ回り道して帰るからみんなは先に帰っていてね!」

 そういうなり唐突に駆け出していったナツオを、三人は唖然としつつ見送ってくれた。






 ナツオはその場所まで歩き足を止める。自販機で死角になっていたその横に背もたれのない木製のベンチが並んでいる。まさに記憶どおりの場所だった。

 この行動に特に意味は無かった。ナツオは思い出の場所を一目見て立ち去ろうと思い足を運んだだけだったのだ。

 ほぼ暗闇だったが、それでも今日は満月の為まだ見通しがきく方だ。こんな時間に当然誰も居ないものだと思っていたが、ベンチに人影があった。

 周りには誰も居らずただ一人そこにいた。やはり見間違えでは無かったのだとナツオは気づく。


「ハ・・・ハルキ!?」





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