第6話-4
翌日は弱い雨の降る肌寒い日だった。待ち合わせの公園内は雨が降っているだけあって誰も人がおらず閑散としていた。 二人は屋根のあるベンチの下で向かい合って座る。ナツオはハルキの口からどんなことが語られるのか落ち着かなかったが、対照的にハルキは淡々と今までの自分の境遇を隠すことなくナツオに告げた。 今まで頑なに秘密にしていた事だというのにナツオが相手だと思うと自分でも驚くほど落ち着いて胸の内をすべて打ち明けられた。 「今思えば中学の頃が一番稼げていたな。」 まるで他人事のようにそう口にすると、それからの事を話し出した。 中学3年生になってまもなく成長期が訪れたこと、そのせいで以前の様に稼げなくなってしまったが見た目が大人びた分、高校生と偽って普通のアルバイトができるようになったこと。 「だから、学校辞めて働けばもう体とか売らずに稼げると思って、父さんとケンカしてそのまま家を出ていくつもりでいたんだ・・・」 でも・・・とハルキは続ける。 「やっぱり迷いがあったから、父さんに引き留められて手を掴まれた時振り払うことができなかった。」 ―――わかったよ父さん、学校へはちゃんと行く・・・ 父のあまりの必死さに思わずそう答えてしまったのだ。それから約一年半ズルズルと先延ばしした結果今に至る、とハルキは語った。 「ほかに知りたいことがあれば答えるよ。ナツオ。」 「・・・・・・・・」 ナツオはあまりの事に言葉を失っていた。ハルキの壮絶な現状をきかされてしまえば、以前の様に軽々しく「なぜ病院に行かないのか」ときくことも難しい。いや、むしろこれだけの事をきかされれば嫌でもハルキの気持ちは解かる。 父に迷惑をかけたくないあまり、ハルキは自分自身の事を諦めてしまっているのだと――― (どうしよう・・・そんなことになっているなんて全く思わなくて・・・私、なんてノー天気だったんだろう、でもハルキの言ってること何か違うような・・・うまく言えないんだけど・・・うーん・・・) ナツオは頭の整理ができずに混乱していた。 「でもあのハルキっ、――アッ!!」 その混乱のままに勢いよく立ち上がりハルキに向かって言葉を発した瞬間、足元が滑り盛大に尻もちをついて転んでしまった。 「大丈夫か!?」 「う・・うん・・・・イタタ」 「ゴメンな。突然こんな話をされたら混乱するよな」 そう言いながらハルキはナツオに向かって手を差し伸べる。 ―――あっ ナツオはその姿に目を奪われた。それは初めて二人が出会ったときの姿―― 野球のホームランボールに当たったナツオが尻もちをついているところにハルキが駆け寄って手を差し伸べたあの日の光景――と重なって見えたのだ。 「あ・・・ありがとう」 ナツオは素直に礼を述べハルキの手を取った。 (あれ・・・そういえばハルキがいつになく優しいっ・・・!接し方が昔みたいになってるんだけど・・・!) ナツオの胸が高鳴る。ハルキの現状を考えればこんな思考は不謹慎なのかもしれないが、優しくされると嬉しくなってしまう。 「俺もきがきかないよな。こんな屋外じゃなくって別のところで待ち合わせすれば良かったよな。今なんか温かい飲み物買ってくるから待ってて」 そう言うと近くの自動販売機へと向かい歩き出した。 「紅茶でよかったか?」 「あっ・・ありがとう!あ、代金!」 「いいよ、俺が呼び出したんだから」 自動販売機から飲み物を買ってきたハルキとそんなやりとりをすることさえ、ナツオにはなんだかくすぐったかった。 「あのハルキ・・・話してくれてありがとう。言いたくないことだったのに・・・・」 受け取った飲み物で両手を温めるようにして口に運びながらハルキにむけて言葉を紡ぐ。 「・・・・いや、昨日は八つ当たりして悪かった。あんなことをしておいて信じてもらえないかもしれないけど、俺にとってお前は今でも大切な友達だよ。だからお前と仲直りしたかったんだ」 「!!」 ハルキの言葉に驚いたナツオは興奮して思わずその場から勢いよく立ち上がった。 「もちろんだよ!あっ・・・!名前!私、高橋ナツオっ!!です!」 「ふっ・・どうしたんだよ急に。」 突然、自己紹介を始めたナツオにハルキは思わず笑ってしまう。 「漢字だよ!今まで教えたことなかったでしょ!こういう風に書くの!」 そう言いながら持ってきていた傘を手に取ると、傘の先にたまった水滴で自分の名前を地面に書き出す。 ―――夏緒 「へえ・・男みたいな名前だと思っていたけど、字を見てみると女の名前だな」 「だから今まで教えられなかったの」 そう、ナツオにとって自分の名前を教えることは大きな意味があったのだ。かつて性別を偽ってハルキと接していた時には決して知られたくなかったことだったから、こうして堂々と名乗れるというのは特別なことに他ならなかった。 「そっか・・・俺はこう書くんだ」 今度はハルキが自分の傘を使って自分の名前を書きだした。 ―――春輝 「あっ、昔きいたことがあるよ。たしかお父さんが『一輝』でハルキが春生まれだったから『春輝』になったんだよね。でも、あっ・・・・」 そこでナツオは気が付いた。ハルキもそれを察して話し出す。 「そうだよ。俺は名前もない状態で神原家に押し付けられた。だから父さんが名前を付けて届けを出してくれたんだ。そうでなければ俺は『春輝』なんて名前にはならなかっただろうし、そもそも『神原』なんて苗字じゃなかったはずだったんだ・・・・」 ハルキはうつむき、地に書いた自分の名を見つめながらそういうと一呼吸おいてまた口を開く 「だから、もうじき返す」 ナツオは思わず両目を見開く。今まで弱弱しかった雨がその時一気に地面に打ち付けるように強く激しいものとなった。 「高校を出たらすぐに家を出てもう二度とここへ戻るつもりはない。だからこの名前ともそれまでの間だ」 「・・・!!!ちょっと待ってよ!何それっ!?」 気づくとザアザアと激しく降る雨の音をかき消すほど大きな声を上げてしまっていた。 「今でも働きに出る時は倉谷の姓を使ってるし・・・それにさっき先延ばしにしたって言っただろ、もともと決めていたことなんだ。」 慌てふためくナツオをよそにハルキは今まで通り淡々と冷静にそう語る。父には何も告げず家を去るのだと。 「そんなっ・・・!何も言わずに家を出るなんてっ!」 「父さんには迷惑をかけたくないんだ。俺から縁を切ってしまえば、あの女が今後父さんに迷惑をかける心配もない・・・」 「でっ・・・でも!」 「考えようによっては俺と他人でよかったかもな。『あの人』とは全く血縁関係が無いから―――」 ハルキは一呼吸おくと「それで解放してやれる」と小さく笑いながら言った。 「違うよハルキそれはっ―――」 「ナツオ」 ナツオの言葉を遮ってハルキはナツオの両肩を掴んで言う。 「お前なら・・俺に協力してくれると思ったから言った。今日の話は全部聞かなかったことにしてほしい。お前と会うときくらい全部を忘れたいっていう俺の我儘に付き合ってくれないか。」 そして言う―――ここを去るまでの時間まで 「俺とまた友達になってくれないか」 と。 |