第7話-2
「・・・・・・・ここどこだ・・・?」 深夜12時、目を覚ましたハルキは、自分が点滴に繋がれたまま、病室のベットに横たわっている事に気が付いた。 (そういえば、俺救急車の中で倒れたんだっけ・・・) 病室は消灯時間をとっくに過ぎているため電気が付いておらず暗い。どうやら個室らしく自分以外には誰もいないようだった。 (あっ、そういえばナツオは・・・!!?) ハルキは、居ても立っても居られない気持ちになり、傍にあったナースコールのボタンを押した。 すぐに若い女性の看護師がハルキの病室に入ってきて、ハルキに優しく声をかける。 「ああ、神原君、目が覚めたのね、良かった。どうしましたか?」 「あの、呼び出してしまってすみません。俺と一緒の救急車で来た女の子はどうなりましたか?」 「ああ、その子ならまだ目を覚ましていないわね、肺炎の症状が出ているのでそのまま入院してもらうことになったけど、命に別状はないから安心してね。」 「そうですか、良かった・・・」 ナツオが倒れた時は本当に死んでしまうかと思ったハルキはその言葉に心の底から安心した。 「ナツオと病室は近いんですか?」 「ちょっと遠いわね。大部屋がいっぱいで貴方だけ個室になってしまったの。高橋さんは大部屋にいるわ。」 「そうですか」 「あと、あなたからの話を聞くと高橋さんが意識を失った一番の原因は肺炎じゃなくて過呼吸ね。」 「過呼吸?」 「精神的なストレスが原因で、一時的に呼吸が苦しくなる発作よ。普通はゆっくり息を整えれば治るもので、どんなにひどい発作でも意識を失うと呼吸が正常に戻るから絶対に死ぬことはないわ。」 「荒かった呼吸が気を失ったら静かになったのはそういう事だったのか・・・・。」 「そういえば、貴方のご家族の方、先ほどまでいらしていたのだけど、貴方の容体が安定していたから、ひとまず帰っていただいたわよ。明日の面会時間になったらまた来るって、貴方が目覚めたら伝えることになっていたの。」 「父さんが・・・・」 「貴方も詳しい検査を明後日、月曜日の9時から行う予定だからそれまで入院ね。」 「入院・・・ですか・・・」 「検査結果次第ではもっと入院になる可能性もあるわよ。何しろ数か月放っておいたんだから。異常があったらすぐに来ないと。」 「すみません・・・」 翌日 一輝は車でハルキの病院へと向かっていた。昨日潮からハルキが見つかったという連絡を受けたときは心底安心したが、数か月前から血を吐いていて、しかもたった今、救急車の中で倒れてしまったと聞かされたときは背筋が凍った。 (ハルキは一体いつから倉谷見栄と接触していたんだ・・・) まさか、ハルキが変わってしまった中学二年の頃からだろうか、考えたくはないが、考えれば考える程その予想は当たっているように思えた。だとしたら自分はどれだけ長い期間その事に気づかず過ごして来たのだろうか。 ハルキは間違いなく倉谷見栄に脅されている。 (あの電話はそういう意味だったのか・・・) 中絶、という言葉にハルキが不始末を起こしたと勘違いして、あろうことかハルキを平手打ちしてしまった。だが事情をなんとなく把握した今なら間違いなくそれが誤解であったと解かる。 (ハルキに会わせる顔が無い・・・・・) ◇◇◇◇◇◇◇◇ 「ハルキ・・入るぞ。」 午前10時。面会開始時間とともに一輝はハルキの病室にやってきた。一輝の声に気づいたハルキは、ベッドの上で横になった姿勢から慌てて起き上がろうとする。 「ハルキっ、起き上がらなくていいっ・・・!」 そう言って、ハルキを手で制すが、ハルキは「いや、大丈夫だから」と言って結局起き上がってしまった。 「ハルキ・・・無事で良かった・・・・・心配したぞ。」 「心配・・・・してくれたのか・・・」 ハルキはそう言って神妙な顔つきになると「今まで色々黙っていて悪かった、父さんにはちゃんと全部話すよ。」とまっすぐ一輝の目を見て言った。 一輝はハルキが急に素直になったことに驚いていた。昨日までは頑なに心の内を見せなかったハルキに一体何があったのだろうか。 「心配・・・するのは当たり前だろ、昨日はその、殴ってしまって悪かった・・・」 「ああ、中絶したってやつか、信じてもらえないかもしれないけど、あれは本当に俺の子のことじゃ」 「倉谷見栄だろう、アレがどういう女なのかは知っている。まさかお前に接触してくるとは思っていなかった、お前が赤ちゃんの頃、倉谷見栄とは約束をしていたんだ、ハルキには今後一切関わらないと誓わせてあった。その時の倉谷はお前に対する興味はほとんどなくて、むしろ引き取ってくれてせいせいするという感じだった。だから今更お前に関わってくるなんて思っていなかったんだ。この事はお前が二十歳になったら全部話すつもりでいた。実の母親に捨てられた、なんて子供のお前にいう事ができなかったんだ・・・すまない」 「父さん、でも俺は、父さんの弟の子ですらないんだよ・・・。」 「それも当然知っている。その事でお前が悩んでしまったのなら本当にすまない・・・・」 ハルキは驚いた表情で一輝を見た。 「そっか、知っていたのか・・・。俺は馬鹿だな、倉谷にまんまと騙された・・・・」 「ハルキ・・・」 「でも、結局同じことだ。」 「同じ?」 「父さん、俺はね、昨日倉谷が言っていた通りの人間だよ。金の為なら誰とでも、男でも女でも構わずセックスするような奴なんだ。」 「ハルキ、それは脅されて、強制されていたんだろう・・・」 「中学二年の頃、初めて倉谷が家に来て俺はまんまと騙されて連れ出された、そこで三人くらいの男からむちゃくちゃ犯されたんだ。そのことを父さんに言われたくなければ働いて金を稼げと脅された。・・・・一度ヤられてしまうと、もう自分の体の事とかどうでもよくなるっていうか。今はもうなんの抵抗もなく誰とでもできる。そういう最低の奴になってしまったんだ。」 「・・・・」 「でも、それで倉谷が満足して、父さんに迷惑をかけないならそれでいいと思った。俺はこのまま倉谷に使いつぶされて終わるんだって覚悟を決めていたよ。」 ハルキの壮絶な告白に一輝は絶句した。ずっと何を考えているか分からないと思っていたハルキの胸の内がまさかこんなことになっていたとは。 (なんて・・・ことだ、ほとんど俺の事しか考えていないじゃないか・・・・・・!!!) 一輝は唇をかみしめた。 (ハルキが、苦しんでいる間・・・俺は、俺は一体何をしていたっ・・・・!!!!) ハルキと向き合うことを避け、そのうちなんとかなるだろう、と考え二年近く放っておいたのだ。 取り返しのつかない事をしてしまったと激しい後悔と罪悪感が沸き上がってきて、涙がこみあげてくるのを必死に堪える。 「でも、ナツオが・・・」 「ナツオ君・・・?」 そういえば、ハルキと一緒に病院に運ばれたと潮から聞いている。一体何があったのか。 「今年の九月頃戻ってきて、偶然同じ学校になった。俺の様子がおかしいのに気づいてしつこく追いかけまわして来るようになった。俺はスゲー荒れてたから、何度来ようが無視したし、いやそれどころじゃない、暴言も吐いたし暴力を振ったこともある。嫌われてしまおうとして、さんざんひどい目に合わせて泣かせた・・・・でもあいつは、俺が何をしても全く諦めないんだ。だから俺も折れて全部事情を話したんだけど、それでも『病院に行け』、『父さんと話せ』ってそれしか言わない。」 「ナツオ君・・・・あの子が・・・・」 一輝の記憶に数年前に見たナツオの姿が蘇る。一見大人しそうに見える子だがハルキが以前「ああ見えてめちゃくちゃ気が強い」と言っていたのを思い出した。話をきくに一輝の想像以上に意思の強い子なのだろう。 「それで昨日、俺はもうすべてを諦めて人が通りかかんないような海沿いで座り込んでいた。嫌われるのが怖かった父さんにも一番知られたくなかった事を知られてしまって、もう動く気力も全くなくなっていてこのままここで死のうかなって考えてて。そうしたら、ナツオにみつかって怒られた。けっこう思いっきり殴られたよ・・・。それで俺が上着も捨ててその場から動かなかったから、アイツもコートとか洋服を俺以上に脱いでその場に座り込んだ。こうなったらどっちが先に死ぬか勝負だとか言って・・・むちゃくちゃだよアイツ・・・でも先にナツオがその場で倒れちまった。意識がなくなる前最後の言葉が、「助けられなくてゴメン」だったんだ・・・。もしかしたらその言葉がナツオの最後の言葉になってしまうのかと考えたら、絶対に嫌だと思った・・・。いつも全力で来てくれたナツオに俺も応えたかった。だからアイツの望みは全部叶えようって思ったんだ。」 (ナツオ君・・・・なんて子なんだ・・・・) ハルキの話を黙って聞きながら、一輝は感心していた、ナツオがいなければ今ごろハルキもどうなっていたか分からない。そう考えるとナツオには感謝しても感謝したりない。まさにヒーローのような存在だと一輝は思った。 「・・・・あとでナツオ君にはお礼を言いに行ってくる、命の危険が無いのは幸いだが意識が戻っているといいな・・・」 そう言ってハルキの方を見ると、ハルキは神妙な顔をして意を決した様に口を開いた。 「父さん・・・」 「なんだ・・?」 「入院代がかかってゴメン・・・。元気になったら働いて・・・返すから。」 「・・・・子供がそんな事を気にしなくていい。」 「それに俺の入院が長引いたら倉谷が家に来てしまうかもしれなくて、その」 「それもお前は気にしなくていい」 「でも、父さんと全然血ぃ繋がって無いし・・・・」 「そういうのは関係ない。少なくとも父さんはお前を本当の子供だと思っている。昔も、もちろん今もだ。お前の携帯は父さんが今持ってる、昨日のうちに倉谷見栄は着信拒否設定にしておいたから、もうお前が電話に出る必要もないし、これ以上関わる必要もない。」 一輝の言葉にハルキは目を見開いた。 「着信拒否なんてしたら、アイツ家に押しかけてくるよ!!そしたら父さんに迷惑が」 「迷惑なんて少しも思っていない。倉谷が来たら父さんが対応する。これからは何があっても絶対にお前を守ってやるから安心しなさい。」 一輝の言葉を聞き終わるなり、ハルキはおもむろに上を向いて目を閉じて黙り込んだ。どういう意味があるのかは不明だが、ハルキは時々このポーズをすることがあるな、と一輝は思いながらハルキの顔を黙って見ていた。 「あ、ヤバイ、ダメだ・・・・・」 ハルキがそうつぶやいたかと思うと次の瞬間、彼の瞳から涙が流れ落ちた。一輝は思わず目を見張る。 「ハ、ハルキ・・・!?」 「ゴメン・・・父さん、やっぱこの方法でもダメな時はダメだな、ちょっとまって・・・今、止める・・・から・・・」 「この方法・・・って・・・もしかしてお前・・・・・」 一輝ははっとする。 ―――ハルキ ―――男は簡単に泣いたらダメだぞ ―――男の子はどんな時も強くなきゃな! 泣きたくなったら上を向いて目をつぶりゆっくり10を数えてみろ。 それは遠い日、まだハルキが幼いころに自分が教えた方法だった。 ハルキは自分の前で時々このポーズをすることがあった、よく考えたら昨日だってハルキの顔を殴ってしまった後ハルキはこのポーズをしていたではないか、中学の時だってそうだ。あの時も、あの時も今だって本当は―――。 「っ・・・ハルキっ・・・・!!!」 一輝は気づくとハルキを正面から思い切り抱きしめていた。目からは大粒の涙が流れ出している。 「とっ・・・父さんっ・・・!!??」 「ハルキっ・・・!!悪かった!!泣きたいときは泣いていいっ!!お前を長い間放っておいて、こんなに苦しめて本当にすまなかった・・・!!父さんは・・・俺は、本当に親として失格だよ・・・!」 ハルキは驚いて目を見開いた、突然抱きしめられたことにも驚いたが、それよりも父が、一輝が泣いているところを初めて見て驚いていた。それもかなり号泣している。 「父さん・・・・何言ってるんだよ・・・俺は今も昔も父さんに生かされてるよ・・・・。」 ハルキは自然と流れてくる涙を今は止めようともせずに、一輝に向かって小さく笑った。 「母さんが亡くなって、朱美も出て行ってしまって、お前までいなくなってしまったら、父さんだって生きていけない、お前はどこにも行かないでくれ!!」 「・・・・ああ、俺はもう、どこにも行かねーよ・・・」 そう言って自分より大きい父の背中に両手を回した。 ハルキの瞳に再び光が灯る。 |