第8話-8
「お前ホントにナツオちゃんに興味ないんだな・・・・。」 そう言った一輝の言葉が、ハルキの胸にいつまでも残る。 (興味ない訳ねーだろ・・・・。俺ナツオがいなかったら、今頃生きてねーんだぞ!?女からあそこまでされて、好きにならないワケねー・・・・・。) ハルキはナツオが帰った後、自分の部屋で一人考え込んでいた。最近気づくと繰り返し考えている事をまた考え出してしまう。 (でも、今のところ誰にも俺の気持ちバレてないみたいだし、俺にしては上出来かな。・・・・俺はきっとこの先、誰とも付き合わないし、結婚もしない・・・・。できない。) ハルキの中には誰かと付き合うということに対して、強力な拒絶反応があった。全てが解決して傍目には、一見、子供の頃の性格に完全に戻ったと思われているハルキだが、実際は違う。あれだけの事があって元通りになど戻れるわけがなかったのだ。 三年前のあの雪の日、ハルキは見知らぬ男達から、さんざん痛めつけられて弄ばれた。あの日から全てが変ってしまったと思う。体だけでなく心まで汚された。それだけでも死にたい気持ちになるには十分だったのに、ハルキはそれからも、金を受け取りながら同じ行為を何度となく繰り返さなければならなかった。 完全に強姦だったのは最初だけだが、高額の報酬を目当てにすると客は大体、癖がある人間しかおらず、強姦まがいの行為を強いられることなど日常的だった。体を売る行為など、ハルキにとっては、死んだ方が遥かにマシという絶望的な苦痛でしかなかったが、ハルキは自分の中に立てた鉄壁の誓いの力だけで、その日々をなんとか乗り越えた。乗り越えられなければ、逆上した倉谷が、父に迷惑をかけると確信していたからだ。 ハルキの受けた傷は恐ろしく深かったのだが、それを誰にも感づかれないようにするのは、難しいことではなかった。一輝をはじめとして、ナツオや潮など、ごく一般的な生活をしている人間は、ハルキのように強姦された事もなければ、体を売った経験もない。その苦痛がどれほどのものなのか、身をもって知らなかったのでハルキ自身が気にしていないように振舞えば、誰も気づけない事だったのだ。 (ナツオみたいな、まっとうな奴に俺みたいな、汚れきった人間はもったいねー・・・・。とてもじゃないけど、アイツに好きだなんて言えねー。アイツにはさんざん世話になっているのに、これ以上迷惑かけられねーよ。) 自分がそばにいたら、ナツオが自由になれないと感じたハルキは、いつまでも一緒に登校するのもよくないと思い、ナツオにそう切り出したのだが、予想外なことにナツオが大パニックになってしまったので、継続せざるを得なくなった。思い通りに事が運ばず、残念に思わなければならない場面なはずなのに、ナツオのその態度に喜んでいる自分もいた。 それほどまでに、ナツオのことが好きでたまらなくなっていた。ナツオに誰かが近づくだけでも、ヤキモキしてしまう程に。 (でも、アイツにとって俺は友達だ・・・・。俺がたまたまピンチだったから、助けてくれたというだけで、アイツは友達の為なら、俺でなくても・・・・それが秋月や葉瀬だったとしても、きっと同じように助けている。) 自分の全てをかけて・・・・。 ハルキの脳裏に、あの日のナツオの言葉が蘇る。 ――――私はハルキと関わらない方が、幸せだなんて思ったことないんだよ!たとえ今ここで、死んでも! (あんなスゲー事、男女の告白でも言わねーよ。アイツの友情は、友情超えてんだよな・・・・・。) だから、勘違いしてしまいそうになるが、その度に、ナツオは子供の頃からそういう性格だったじゃないかと、自分に言い聞かせる。子供の頃のナツオは、男のフリをしていたといっても、実際はほとんどなんの演技もしていなかったと、ハルキは気づいていた。ナツオは見た目こそ変っているが、昔から性格は何も変わっていないのだ。 (父さんにまで妬くなんて・・・・どうかしてるな。) 今日一輝がナツオに「可愛い」と言って喜ばせたことが、ハルキはどうにも面白くなかった。 (可愛い、なんて俺だって、最近はいつもアイツを見るたびに思ってるよ!俺の方が父さんよりずっと・・・!) そんな気持ちが、自然と湧き上がってきてしまう。 (でも、思っていても、俺は言えないけど・・・・) だけどもし・・・・・ と考えてしまう。もし俺が、あの雪の日より前の自分に戻れたら・・・・ (そしたらきっとそのくらいのセリフ、毎日だって言えた・・・・。お前のことが世界で一番大好きなのは俺だって伝えてたよ・・・・。夏緒・・・・。) そう思うと、胸が押しつぶされそうな気持ちになった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「神原君、ナッちゃんのこと好きでしょ!?」 翌日もナツオを朝から迎えに行って、一緒に登校した。二人の様子を見ていた理緒は、昼休みにハルキを人気のない廊下に呼び出して、いきなり問い詰めた。 「いや、何度も言うけどナツオは友達だよ。」 「女の勘をなめないでもらいたいわ。神原君のナッちゃんを見る目で分かるのよ。別に責めてるわけじゃないけど、なんで興味ないフリをしているのか知りたいのよ。」 「え、俺、そんな邪(よこしま)な目で、ナツオの事見てるように見えたのかよ?」 「邪なんて言ってないでしょ。好きでしょ、ってきいたのよ。」 「ナツオは俺の命の恩人だから、嫌いなわけはねーよ。好きだよ。でもナツオの事は、友達としか思ってねーよ。俺がナツオを恋愛対象として見てるように見えるなら、それは氷室がそういう先入観をもって、俺を見てるからだろ。」 「しぶといわねー・・・。それなら、もうそういう事で良いけど、そんなに興味ないフリしてて、そのうち誰かにとられちゃっても知らないわよ。従姉妹の私がいうのもなんだけど、ナッちゃんてすっごい美少女なんだから。」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 時間は少し戻ってその日の朝。 身支度を整えたナツオは、自宅でハルキが迎えに来るのを待っていた。すっかり冷静になった今、昨日のハルキの前での失態を思い出すと、顔から火が出そうになる。 (あんなに思いっきり、抱きついて泣いちゃうなんて・・・・・昨日の私、本当に信じられない・・・・。ハルキにどんな顔して会えばいいか分からないよ・・・・!) とりあえず、一緒に登校したいと泣いてせがんだことだけは、なんとしても取り消さないと、と心に決めていた。 が 「いや、遠慮しなくていい。これからもずっと朝は迎えに行くよ。」 ハルキから、即座にそう返答され断られてしまう。 「ハ、ハルキ、遠慮とかじゃなくて・・・・、そのー・・・昨日は私本当に、体調悪すぎて、精神状態どうかしてて、あれは本心じゃないの・・・・・!」 「・・・・・・やっぱ本心じゃねーのか・・・」 ナツオの「本心じゃない」という言葉に反応したハルキが、思わず消え入りそうな程小さな声で、そう呟いた。 「え?何か言った?」 「いや、なんでも。体調今日は少し戻ってるみたいで安心したよ。って言ってもまたいつ悪くなるか分かんねーから、やっぱ朝は迎えに行くからな。」 ハルキのきっぱりした返答に「こんなところで、持ち前の押しの強さを発揮しないでほしい・・・。」とナツオは思った。 「悪いよ、ハルキ・・・。私、昨日ハルキにすっごい迷惑かけて、それだけでも今、罪悪感凄すぎるのに・・・・。」 「迷惑?何がだ?俺、お前から迷惑なんて、かけられた覚えねーけど?」 「ハルキに思いっきり抱きついて、ワガママ言いながら泣いたでしょ・・・・。土下座して謝りたい気分だよ。本当にゴメン・・・・・・・。」 ナツオは、そう言って顔色が悪くなるほど思いつめた表情で、ハルキに謝る。 「いや、ナツオ・・・・その程度の事、俺は慣れてる。迷惑でもなんでもねーよ。そんな事で思い悩まないでくれ・・・・。」 ハルキのその一言が、ナツオの胸に容赦なく刺さった。今日は精神が安定しているので、その場で泣くような失態は犯さなかったが、昨日だったら間違いなく泣いていた。 (その程度・・・・・・って・・・・・私は男の子に抱きつくなんて、生まれて初めてのことだったけど、ハルキにとっては抱きつかれるのくらい、「その程度」の事なんだ・・・・。ハルキは夜の仕事してたから、抱きつくどころかもっと凄いことしても、「たいしたこと」にはならないのかな・・・・・。) そう思うと、胸が締め付けられた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「邪なんて言ってないでしょ。好きでしょ、ってきいたのよ。」 「ナツオは俺の命の恩人だから嫌いなわけはねーよ。好きだよ。でもナツオの事は、友達としか思ってねーよ。俺がナツオを恋愛対象として見てるように見えるなら、それは氷室がそういう先入観をもって、俺を見てるからだろ。」 昼休み、学校の中庭にある自販機に、お茶を買いに行こうと一人で歩いていたナツオは、たまたま、ハルキと理緒が話しているのを目撃してしまった。二人からは気づかれていなかったが、会話の一部分だけをきいてしまい、そのまま走り去った。 (ハルキは、やっぱり私の事、友達としか思ってないんだ・・・・。そうだよね・・・・。) 別に改めて聞かされなくても分かっていた事だったが、改めてハルキの口から、きっぱりと言い切られたのを聞いてしまいナツオは、激しく動揺した。 (ハルキが、私の事を友達としか思っていないなら、私が告白なんてしたら、友達関係すら終わってしまう・・・・。) せっかく友達に戻れて、ハルキと楽しく過ごす事ができるようになったのに、ナツオが気持ちを打ち明けることで、その日常をまた失う事になるのかと思うと、とてつもなく怖くなった。 (ハルキに告白なんて、とてもじゃないけどできないよ・・・・・・。) ナツオの中に、また再び「あの気持ち」が生まれてしまった。もう二度と繰り返すはずはないと思っていたあの気持ち。 ハルキに対する「言えない気持ち」だ。 高橋夏緒、16歳、やっと自覚した初恋は、いきなり苦いものとなった。 |