第8話-7




「待たせたなハルキ、ナツオちゃん、じゃあ行こうか!」


 一輝が、リビングで待っていたナツオとハルキに声をかけてきた。一輝は先に玄関から外に出て車に向かう。ハルキとナツオも、一輝の後を追うように玄関へと向かった。先に靴を履いたハルキに続けてナツオも靴を履こうとした時、ぼーっとしていたせいか、玄関の段差から滑り落ちて転びそうになったのをハルキが慌てて支えた。

「ナツオ・・・!」
「ご・・・ごめ・・・・・・うっうう・・・・・・」

 思いがけずハルキに触れられたナツオは、我慢できずにまた泣きだしてしまった。

「どーしたんだ!?ナツオ!?今なんかお前が泣くような事が何か起こったのか!?ゴメン俺全然気づかなくて・・・・!!」
「違・・・・違う・・・・ごめ・・・・」

 ナツオは、感情が全く制御できなくなっていた。涙が流れてきて全く止まる気配がない。ナツオの体を支えているハルキに縋るようにして、自分の顔も体もハルキの体に思い切り押し付け、無言のままさらに泣き出してしまう。

「ナ・・・ナツオ・・・・・おい・・・・・」
 ハルキは、ナツオの様子が明らかに普通ではない事に気づいてうろたえた。そしてナツオが体を思い切り密着させてきたことでさらにうろたえた。

「お前・・・ちょっと落ち着いた方が良い。一回俺の部屋へもどろう。話したいことあるならきくからちゃんと話してくれ。な?」

 ハルキは自分の胸に顔をうずめて、静かに泣いているナツオの頭を優しくなでながら話しかけた。ナツオからの反応はなかったが、ハルキはそのままナツオを抱き上げるとお姫様抱っこをして、自分の部屋に向かう。

「ハルキ!?え、ナツオちゃんどうしたんだ・・・!!?なんで泣いてるんだ!?」

 車内で待っていてもハルキたちが一向に車に乗り込んでこないので、様子を見に来た一輝は、ハルキに抱き上げられて泣いてるナツオの姿を見て狼狽えた。

「ゴメン父さん、ナツオの調子が急に悪くなっちまった。俺の部屋で横になって休ませるから、しばらく待ってもらえねーか。」

「調子が悪いって・・・・お前ナツオちゃんに何かしたのか?」

「いや何もしてねーよ。」

「何もしてないのに泣かないだろ。ナツオちゃん大丈夫か!?ハルキに何かされたか?おじさんは絶対にナツオちゃんの味方だから、なんで泣いてるか教えてくれないか?

「ごめんなさい・・・!ハルキは悪くない・・・・!私が!私が!勝手に!・・・・ごめんなさい!ごめんなさ・・・・うっううっ・・・・・」

「ずっとこんなで、俺もなんで泣いてるか分らねーんだよ。だからとりあえず落ち着くまで休ませた方が良いと思って、今運ぼうとしてたんだ。」

「分かった。とりあえずナツオちゃんが泣き止んだら事情をきこう。今色々聞いてもナツオちゃんが可哀そうなだけだ。」

 一輝を説得したハルキは、ナツオを抱いたまま自分の部屋へ入りナツオをベットの上に下そうとした。・・・・がナツオがハルキから離れるのを拒否してハルキに必死にしがみついてくるので、ベットに寝かせることが出来ない。仕方なくナツオをお姫様抱っこで抱えた体勢のまま、自分がベットに腰かけた。ナツオは自分の体をハルキに完全に預けながら、彼の胸に顔をうずめて、ずっと静かに泣き続けている。

「お前がここまで弱っちまうなんて・・・・想像した事もなかった・・・・・。」

 普段の芯が強いナツオを知っているだけに、今のナツオの心のダメージがどれほど大きいのか、計り知れないものをハルキは感じた。


 しかし

「ナツオ・・・・お前にそんなに思いっきりくっつかれたら・・・・俺・・・・・・・・・。」

 ナツオのメンタルも心配で本当はそれを一番に考えるべきなのだろうが、今のハルキの心境はかなりそれどころではなかった。

「ゴメン・・・・・嫌だよね・・・・・ゴメン・・・・ハルキ・・・ゴメン私・・・・・・」

 ナツオは、また泣きながら何度も謝りだす。

「いや、ちげーよ・・・・嫌なわけないだろ・・・・!お前・・・・なんでそんなに、俺から離れたくねーんだよ・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・不安になるの。ハルキが・・・いないと不安になる・・・・・。ハルキと登校したいけど・・・・ハルキに負担・・・・・だから・・・・そんなこと言えなくて・・・・・我慢しようと思ったんだけど・・・・出来なくなっちゃって・・・・ごめんなさい・・・・・・・・・。」

「え・・・・・お前それで・・・・・・・!?俺がお前を一人で登校させようとしたから、不安になって泣いてるのかよ!?・・・・お前今どんだけ弱ってるんだよ・・・・!精神状態相当ヤバいじゃねーか!」

「・・ゴメンなさい・・・・・・・」

「いや、なんでナツオが謝んだよ。悪いの全部俺だろ。お前の事そこまで弱らせたの俺じゃねーか。お前と登校するくらい負担でもなんでもねー。早く言ってくれよ。お前が卒業するまで、毎日だってずっと迎えに行くよ!!だからそんな事で泣かないでくれ!!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ごめんなさい、おじさん、男の人に言うのはなんなんだけど、今日、実は女の子の日で・・・・それでちょっと情緒不安定になっていただけなんです。ハルキに何かされたとかではないから・・・びっくりさせてしまって、すみませんでした・・・。ハルキも・・・・・ゴメンね・・・・。」

 一時間後、ようやく気分が落ち着いてきたナツオは、家まで送って行ってもらう車の中でぽつぽつと恥ずかしそうに、そう言って謝罪をした。

「そうか、それは逆に、事情を話させてしまって申し訳なかった。朱美も同じようなものだったから、ナツオちゃんに言わせる前に、こちらが察するべきだったな。うちの朱美の場合は泣きたい気持ちが抑えきれないほど高まるんじゃなくて、怒りが抑えきれないほど高まってしまうようだったが・・・人によって症状は違うが、まあ感情を抑えきれなくなるというところは一緒だ。」

 一輝は運転しながらナツオの話に耳を傾ける。ナツオの話を聞き終わると申し訳なさそうに彼女に謝罪した。

「落ち着いてみると、ほんと、恥ずかしいです・・・。」

「気にするな。女性はみんなそうだよ。」

「あ・・・はい、ありがとうございます。」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「訳もなく、悲しくなったり、怒りが抑えきれなくなったりするって事なのか?俺には経験ねーから、全然どんな状態か分かんねーんだけど?」

 ナツオを家に送った帰り道、助手席に座ったハルキが一輝に不思議そうに問いかけた。

「うーん。訳もなくなる場合もあるし、些細なことがいつもの100倍くらいのダメージになってそれが怒りに変ったり、悲しみや不安に変ったりして自分でも抑えきれない位、感情的になってしまうようだな。ナツオちゃんが、どっちだったのかまでは、聞かなかったから分からないが、まあどちらにしても、その時の精神状態は明らかに異常だから、気持ちが落ち着いて通常の状態に戻ると、おかしなことしでかしてしまったなと思うようで、さっきのナツオちゃんみたいに、後悔するみたいだな。」

 一輝が口にした「おかしなこと」という一言がハルキの胸に刺さった。

(あの強いナツオが泣きながら俺に抱きついてきたり、俺がいないと不安だなんて言うなんて・・・・やっぱり普通の状態じゃなかったからだったのか・・・・。ナツオからスゲー好かれてるみたいに錯覚しちまった・・・・。)

 ナツオと抱き合った感覚が今も残っている。ハルキにはそれが辛かった。

「ところでハルキ、今日ナツオちゃんからきいたんだが、ナツオちゃんて学校でモテないのか?あんなに可愛かったら周りの男子が放っておかないと思うんだが?」

「ナツオ・・・?さあ、ナツオがモテてるかモテてねーかなんて俺は知らねーよ。でもアイツが転校してきた時は、美少女転校生って騒がれてたみたいだぜ。」

「やっぱり美少女だよなー!なんで本人の耳に全然入ってないんだ?ナツオちゃん、今まで男性から、可愛いとすら言われたことが無いって言っていたぞ?今日父さんがナツオちゃんに可愛いって言っただけで、そんなこと言われたの初めてって、すごく喜んでいた。父さんには、本当にそれが不思議なんだが。ハルキだってナツオちゃんのこと可愛いって思うだろう?」

「え、そうかな。あんま考えた事ねーや。」

「お前、あんな芸能人レベルで可愛い子みて、その反応って・・・・。父さんはちょっとお前が心配になってきたよ。」

「なんで俺が心配されんだよ。ナツオはフツーに友達だって言ってるだろ。俺はアイツは、雪都あたりと付き合えば良いと思ってるよ。雪都はスゲー良い男だし、真面目で誠実だし、ナツオにちょうどいいんじゃねーかってな。」

「お前、ホントにナツオちゃんに興味ないんだな・・・・。」

 一輝はしみじみとしながらハルキに言った。

(ハルキの奴、他に好きな女の子がいるわけでもなさそうなのに、あんなに親身になって自分を助けてくれたナツオちゃんに、全然心が動かないのか?)

 一輝は、不可解そうな顔でハルキの横顔を眺めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ああーーーーーーやってしまったーーーーーー・・・・・・。」



 ハルキの家から帰宅したナツオは、一直線に自分の部屋へと向かうと、そのままベットに、うつぶせに倒れこんだ。穴があったら入りたい気持ちで両手で顔を覆う。過去に何度か怒りで暴走して後悔した事はあったが、悲しみと不安がここまで激しく暴走したのは生まれて初めてだった。過去最大級の大暴走だ。

(やっぱり今日は絶対出かけちゃいけない日だった・・・・。ハルキの前で二回も泣きじゃくって、その上ハルキに、何度も抱きついてしまうなんて・・・・・。)

 思い出すだけで顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。

(あんな事しちゃって、私一体ハルキからどう思われてるんだろ・・・・。相当困らせちゃったよね・・・・私があんなに泣きながらハルキと登校したいなんて言ったら、それがどんなに負担でも、ハルキなら絶対顔に出さずに、いいよって言うに決まってる。私に負い目を感じてるハルキが断れるわけないよ。ああ・・・なんであんな事言っちゃったんだろう・・・)

 ナツオは、凄まじい自己嫌悪に襲われた。



 しかし、ナツオの体にはまだ、ハルキに抱きしめられた感覚が残っている。あの時の安心感が、平常心に戻った今でも恋しいのは変らなかった。ナツオの心臓の鼓動が異常な程速くなっていく。

(私・・・・ハルキにまた抱きしめてもらいたいな・・・って思ってる・・・・。ハルキは、私が泣いてるから仕方なく抱きしめてくれただけだって分かってるけど・・・・)

 以前には感じたことがないほど、ハルキに会いたいと感じた。今別れたばかりなのに、ハルキが恋しい。こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。

(私・・・・もしかしてハルキの事・・・・・。)

 以前からほのかにあった気持ちが、ナツオ自身が自覚できるほど大きく膨らんで、やっと気づく。

(ハルキの事、好きになっちゃったみたい・・・いや、今じゃない・・・・前から好きだったみたい・・・・。)


『俺はさ、そんなことくらい誰にでもできるんだよ。』


 いつかの、ハルキのセリフが脳内に蘇ってきた。そう、ハルキがナツオにキスをした時、ハルキは確かにそう言っていた。ナツオはそのセリフになぜか胸が痛んだが、その時は理由が分からなかった。分からずに泣いていた。

 でも今ならはっきり分かる。

(私だけにしてほしかった・・・からだ。誰にでも・・・じゃなくて、ハルキが私のことを好きだったら良かったのにって思って辛くなった。でも、私あの時よりずっと、ハルキの事好きになってしまっている。)

 あの時はハルキに想い合う相手がいたとしても少し寂しいな、と思うだけで、ハルキが好きな人と幸せになってくれればそれでいいと思えた。それ程淡い恋心だった。

 だが今のナツオはその頃のナツオと、もはや別人レベルに内面が変化している。やはりナツオは、今のハルキらしいハルキが一番好きなのだ。だからハルキが元に戻ってからの彼との楽しい時間の中で、ナツオの恋心が格段に跳ね上がり、とてもではないが、もう以前のようには思えなくなっていた。

『誰でもいい』

 そう言ったハルキの言葉が、ナツオの胸を再び締め付けた。前の時よりずっと強く・・・。



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