第4話-1



――置いていかれてしまった・・・


覚悟していた事とはいえ、その事実がナツオに重くのしかかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 このまま重い気持ちを引きずっているわけにもいかないと、無理やり授業に集中してみたのだが長くは続かなかった。ノートに板書をしていた手を休めると、教室の窓から外に目をやり小さなため息をついた。外は雨。眺めていてもますます気が滅入りそうだった。


(私が言った事って、やっぱり・・・)


 ナツオは昨日の自分の発言について思い返していた。今更そんな事を言われても、ハルキにはうっとおしいだけだっただろうかと。



 ハルキの度重なる発言から過去にナツオが犯した事に対して、かなりショックを受けてるということが解った。それだけ想われていた事が嬉しかった反面、だからこそ今でも許されていないと知り酷く複雑な気持ちになった。


 ハルキと再会するまでは、性別を打ち明けても、彼なら自分を許してくれるかもしれないという無意識の期待が胸の内にあった。それがナツオの長年にわたる大きな思い違いだと気が付いたのだ。

 ナツオの犯した一番のミスは、もはやハルキの女嫌い云々の問題に収まらず、彼に何も告げずに捨て置いてしまった(様に見える行動を取ってしまった)事である。その罪は時間が経つほど重くなっていく。

 それはハルキが殊更に「今更もう遅い」という発言をしていた事からも分かる。それはつまり『今更』でなければ、ナツオのしでかした事も取り返しがついたという事ではないだろうか。

 けれど、あの時のナツオはハルキの心境にまで気が回っていなかった。置いていかれるハルキにも多大なショックを与えるとは考え至らなかったのだ。

 ナツオはハルキを信頼していたし、親友だとも思っていた。けれど、ただひとつ告げられなかった事実――女子であるという事がネックになり、ハルキに対し臆病になっている部分があった。その不安に振り回された結果が現在の有様だ。一番失いたくなかったハルキからの信頼を失ってしまった。


(本当に気づくのが遅すぎ・・・)


 ナツオは無力感に襲われ俯いた。

 昨日ハルキは最後に何かを言いかけていた気がするが、突然かかってきた電話に焦ったように出て、会話が打ち切られてしまった事を思い出す。


(何か大事な電話みたいだったけど・・――)


 そこまで考えて思わず顔を上げる。



(――あっ!そういえば私!!)



◇◇◇◇◇◇◇◇



 その日の昼休み、ナツオは6組に足を運んでいた。何度と無くハルキ目当てに押しかけた教室であるが、今日はどういうわけかハルキはおろか雪村や八峰も見当たらない。でも幸い今回目当ての人物はいた。




「いたああ!!!タケダァアーーー!!!!」


 ナツオは武田の姿を見つけると、ミサイルのような勢いで詰め寄った。意外と甘党なのか、紙パックのいちごオレを飲みながら一人で黙々と昼食を取っていた武田はその勢いに思わずたじろぐ。


「は?何だ?神原なら今日はいねーぞ」
「違っーーー!タケダ!!」
「オレかよ!?」
「違っーーー!!葉瀬っち!!!」
「葉瀬かよ!?」

 ナツオは慌てすぎて言葉が不自由になっている。武田はすっかり困惑していた。いきなり押しかけてきてわけが分からない。――のはまあいつもだが、今回の対象は他人(ハルキ)でなく自分なので厄介だ。


「えーと昨日!!!!!」

「はぁ?」

「葉瀬っちのことを置き去りにして帰っちゃったでしょ!!!まだ話が終ってなかったのに本当にゴメン!!!!私、一度に色々な事考えられなくて!!ああっ!!でもそれは葉瀬っちの事がどーでもいいとか、そういう事じゃなくて!!きのーは、ハルキが!!あの、ハルキが優先になっちゃったからそう見えたかもしれないけど、本当に違うから!!!――あっ!!!葉瀬っちに言おうと思ってたんだけど、ショートカットも似合うし無理に伸ばしたりしなくてもいいよ!むしろ私、葉瀬っちにそんな風に思ってもらえてたなんて嬉しいし、だからそんな気にしな―――」


 凄まじい勢いで捲くし立てるナツオに、武田は思わず座っていた席から立ち上がり後ずさった。

「待て待て待て!!!オレに言うな葉瀬に言え!葉瀬に!!!!」
 そう言いながら慌てて両手を前にかざす。


「葉瀬っちに・・・」


 ナツオは、そう答えたきり力なく黙った。今まで破竹の勢いだったのが嘘のようなしぼみ方である。武田はまるで自分が失言をしてしまったような気まずさを覚える。

「私・・・・」

 沈黙の中、ナツオはこの上なく悲壮感漂う表情を武田に向けた。

「なっ・・・なんだよ」

 武田はそのただならぬ雰囲気に息をのむ。

「・・・」

「おっ・・・おい?」




「葉瀬っちの連絡先知らないぃぃぃぃ〜!!!!」



 ナツオは後悔のあまり叫び声をあげて、両手で頭を抱え膝から崩れ落ちた。
武田にはそのオーバーリアクションともいえる反応がまったく理解できない。

「いや、それは別にたいした事じゃねーだろ。そのくらい今教えてやるよ。」
「え?」
「向こうからも、お前の連絡先きいてこいって言われてるしな。」


 武田が当然のようにそう伝えるとナツオは、一瞬驚き思わず両手を打った。


「あ!そっか武田に訊けばよかったんだね。」

「お前、阿呆だろ・・・」

 晴れやかな表情を浮かべるナツオを前に、武田は完全に呆れた。

「うう・・・だって置き去りにされたらショックだろうな・・って考えたら私も葉瀬っちに同じ事しちゃったって気づいて焦っちゃって・・・」

 ナツオは、すっかり乱れてボサボサになってしまった己の髪をそれとなく結び直しながら武田に弁解した。

「同じ事って・・・あー・・神原に置き去りにされたわけか。」

 武田は察した。昨日、やはりハルキとは上手く話をつけられなかったのかと。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「ありがとう武田、あとで葉瀬っちに昨日の事ちゃんと謝るから!」


 一通りの作業を終えるとナツオは安心した表情で武田に礼を述べた。しかしその直後一変して何かを思い出したように表情を硬直させた。

「どうしたんだよ?」

 急にキョロキョロと辺りを確認しだしたナツオに武田は疑問の表情を向ける。

「良かった!!いない!!」
「は??」
「ハルキの友達だよ!友達バリアー!」
「なんだよ、友達バリアーって・・・」

 そのネーミングセンスは何なんだよ、と武田は心の中で突っ込んだ。

「ハルキの事いつも護ってる二人いるでしょ!」
「ああ、雪村と八峰か」

「背の高い方、この前怒らせて怖いから苦手なの・・・」
「アイツのどこが怖ぇーんだ?」

 普段の柔和な雪村しか知らなかった武田は、怖いと言われてもあまりピンとこない様だ。

「怖すぎだよ!今日は武田に会いに来たから忘れてたけど、ここへ来る度また怒られるんじゃないかって!」
「ふーんでも、神原とはまだ話ついてねーんだろ?」
「うん、まあそれは・・・」

 話は打ち切られた。それにあれだけ立て続けに拒絶されているのだから、もう近づけそうもない。そこまで考えてナツオは、セーラー服の上に羽織ったセーターのポケットに入れたまま忘れていた物の存在に気づく。いつまでもナツオが持っているわけにもいかない物だ。

(うう・・・でもこれは返さないと・・・)

 タバコという物が物なだけに、下手な返し方をすると誰の目に触れてしまうかもわからない。直接本人に手渡した方がいいだろう。ナツオは無言で苦悩した表情を浮かべる。

「ま、お前の事だ。どーせまた来るんだろ?でも神原、一回休むと次いつ登校するかわかんねーぞ?」

 ナツオの表情を前になんとなく察した武田が驚くべきことを口にする。

「ええ?!そうなの・・?!」
「何してるか知らねーけど、あいつ単位落とさねー程度しか学校来ねーから。最近はアレでも割と来てた方だ。」
「そんな・・・」

 ナツオは、この先ハルキに物を返す――ただそれだけのために何度も雪村を恐れながらこの教室を訪ねなければならないのだろうかと考え、猛烈に胃が重くなった。

「はぁ〜しょうがねーな。神原が次来たら俺から連絡してやるよ。」

 ナツオの様子を見かねた武田が、やれやれと頭をかきながらそんな事を申し出た。
その言葉にナツオは、目を見開いたまま武田を見つめて固まってしまう。
そんなにおかしなことを言ったつもりではなかった武田は、ナツオの反応に困惑する。


「なっ・・・なんだよ?」
「えっ・・いいの?・・・なんで!?」
「なんでって何がだよ?」
「えっ・・あの、だって武田はハルキの友達でしょ?ハルキに嫌われてる私の味方をしていいの?友達バリアみたいに私を遠ざけようとする方が普通だと思ってたから」

 もしナツオが武田の立場なら、わずかでも協力するなどありえない事だった。例えばハルキの状況を詩乃に置き換えて考えてみる。詩乃が嫌っている相手がいたとして、ナツオはその相手に協力するだろうか。否。100パーセント否である。むしろ雪村達の様に全力で追い払うし、下手をすると彼らよりよほど過激に返り討ちにしてしまうだろう。だから武田の申し出が理解できなかったのだ。

「あんな奴、友達じゃねーからな。」
「ええっ!?そんな理由!?」

 武田のそっけない返答にナツオはますます戸惑った。そっぽを向いた武田からその感情は読み取れない。ナツオは武田という男がまだどうにも理解できていない。

「つーか昨日・・・」
「え?」

 武田は横を向いたまま視線だけをナツオに寄越し、少しためらいがちに口を開いた。


「・・・悪かったな。」


 武田の視線は包帯が巻かれた右手、ナツオが怪我をした場所に注がれていた。それに気がついたナツオは小さく驚きの声を上げる。

「えっ?あっ・・・!これは別にタケダのせいじゃないと思うけど。気にしてたの?」

 この怪我は完全にナツオの自爆だった。そこに責任を感じているなら武田は見かけによらず人がよいのではないだろうかとナツオは思う。

「そりゃ・・俺のせいで焦らせちまったし。言い過ぎたと思ってるよ、これでも。」

 武田は、ぶっきらぼうな口調でそう言うと、ナツオから視線を外しまたそっぽを向いた。昨日の謝罪だけでは足りないと感じ改めて伝えてきたようだ。素直に謝るのが相当恥ずかしかった様で顔が赤くなっている。

「もしかしてそれで・・・」

 ナツオに対するお詫びの気持ちで、少しだけ協力してくれる気になったという事だろうか。

「勘違いすんなよ、今回だけだからな。」
「そっか、ありがとう。」

 ナツオはその好意を有難く受け取る事にした。分りずらいところがあるけど、けっこう良い奴かもしれないとナツオの中で武田の好感度が少し上がった。

「じゃ、私帰るね!」

 そう言って武田に視線を送りつつ背を向けて小走りに教室の出口に向かう。それがいけなかったのだろう、正面を向いていなかったナツオは進行方向から歩いてきた人物と肩が衝突してしまう。

「あっ・・・!ごめんなさ――」

 ぶつかった衝撃でナツオのポケットに入っていたものが飛び出していた。中が見えないように紙袋に包んでいたが袋の口を止めていなかったせいで『それは』中身が飛び出した状態で床にぶちまけられた。


 ――そう、ハルキに返すはずだったタバコだ。


 慌てて拾おうとするが、すでにこの時とりかえしのつかないことが起こってしまっていた。
 ぶつかってしまった相手を見てナツオは青ざめた。このクラスの担任だ。その表情は険しく言い逃れが一切できそうにない。


「君・・・・クラスと氏名は?あとで職員室に来るように。」
「・・・・・・・・・・・・はい。」








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