第4話-2


「ごめんなさい、ウッシー!まさか学校に呼び出されるなんて・・・!」



 ナツオは両手を合わせ謝罪する。目の前に座る相手――ナツオの伯父である高橋潮(たかはしうしお)は静かに顔をしかめていた。

 高橋潮は、ナツオの母の兄である。現在40歳の彼は父親のいないナツオにとっては子供の頃からずっと親代わりの存在だった。とはいえその外見はどうみても二十代半ばの風貌であり、とても実年齢には見えなかった。それに加えて超がつく程楽観的な性格であり、良くも悪くも完璧にマイペースである。だからナツオにとっては、なんだか兄か弟のような感覚の人物であった。

 しかし学校から呼び出され家に帰って来る今までの間、潮は普段とは比べ物にならないほど無口だった。いつもの飄々としていて良く笑う潮に慣れているせいか沈黙が怖い。しかも今はリビングでテーブルを挟み向かい合って座っている状態なのでなおさら辛い。いつ叱責の言葉が飛んでくるかと思い、身をすくませて潮の言葉を待った。



「ねみぃ・・・」




「え?」


 潮がぼそりとつぶやいた言葉にナツオは盛大な肩透かしをくらう。

「まさかウッシー、眠かっただけ!?」

「『だけ』ってなんだ?こっちは徹夜明けで寝てたんだぞ。起こされたらめっちゃキツいだろ。つーか俺、もう寝ていい?どーせお前、明日から3日間は謹慎だかでずっと家にいんだろ。」

 潮はあくびをしながら目をこする。本当に眠そうだ。

「ええっ!!そうだけどっ・・・それでいいの?だって学校に呼び出されて、その・・・」

 ナツオは混乱した。いくら潮の性格が緩くでもここまでではなかったはずだ。

「あータバコっつてもあれお前のじゃないんだろ?」

 潮はなんてこと無い様にそう言うと、おもむろに席を立ち着ていたスーツを脱ぎ始めた。

「ええっ!なんで解ったの!?私、ずっと黙ってたのに」

 ナツオは驚いた。タバコの件について教師から問い詰められた際、ハルキの名前を出すわけにもいかず、かといって自分の持ち物だと嘘をつくのもおかしいと混乱しながら必死に考えた末、結局黙り込んでしまったのだ。それなのになぜ。

「そんなのお前を見てりゃー解るよ。だいたいお前本当に嘘が下手なー!」

 潮はスーツ姿から部屋着に着替えながら「わはは」と笑っている。その言動はまるっきりいつもの潮らしく、ナツオは今更ながら少しホッとした。潮がいくら温厚でも今回ばかりは怒らせても仕方ない事をしてしまったと不安だったのだ。潮はTシャツにジャージというラフな格好になると、もう一度椅子に戻り軽く腰掛けた。そして思いついたようにナツオに問いかける。



「あ、そういやタバコって、もしかしてハルキのか?」




「えええええ!!!!??ウッシーなんでそれ!!」


 潮の発言に驚いたナツオはテーブルに両手をつき勢い良く立ち上がってしまう。

「だってハルキ最近グレてんだろ、たしか?」
「だからなんでそれを知ってるの!?私ウッシーにそんな話したことないよね!」
「え、そーだっけ?ああ、あれだ!ハルキの父ちゃんからだよ。」
「・・・え?!!!」

 ナツオは驚きのあまり口をぱくぱく動かしているだけで、肝心の言葉がなかなか出てこない。潮はいつも通りの飄々とした口調で当時の事を話し出す。

「俺もすっかり忘れてたんだけど、そういやちょっと前に偶然会ったんだよなあ。」

 それは今年の春頃の話だった。ナツオ達が再びこちらに引っ越してきたのは、夏休み明けの九月からだが、潮は北海道に在住中も短期出張でこちらを訪れる機会があったのだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 仕事終わりに駅前のロータリーを歩いていた潮は、この近くで一泊し翌日北海道に戻る予定だった。


「あ!高橋さん!?」

 そこへ進行方向からやってきたハルキの父が潮に気がついた。
ハルキの父も潮と同じくスーツ姿であり、帰宅中のようだった。

「お!神原さんじゃないスか!」

 ハルキの父は名を一輝(いつき)と言う。身長は2メートルを超えており体格も良いため迫力がある。一方潮は細身であり身長も168センチほどしかない。潮は自然とハルキの父を見上げる形になり「あいかわらずデカイっスね!わはは!」といつもの調子で笑った。

 すでに夜の9時を過ぎていたが、近場の居酒屋に入った。店内はそれなりに賑わっており、二人はカウンター席の隣同士に腰掛け一息つく。他愛ない雑談をしながら、注文を済ませたところで一輝がしみじみとした口調で言う。

「それにしても、ハルキが小学生の頃以来なので、かれこれ4,5年ぶりですね、高橋さんはまったくお変わりなくて、なんというか驚きました。」

「ん?神原さんこそほとんどお変わりないようにみえますが?」

 たしか『自分より2,3歳年下のはずだったな』と潮は考えながらそう答える。潮の外見が変わっていないように一輝も数年前と比べそれほど変化が見られない。

「はは、そうですかね。そういえばナツオ君は元気ですか?」

 ハルキの知らないことは一輝も当然知らない為、いまだにナツオは『ハルキが小学校の頃親しくしていた男友達』と認識されているようだった。ひどい別れ方をしていることは、ハルキがあえて伝えていないのだろう。

「あー、あいつはまあ、あのまんまですよ、わはは」

「そうですか、それは良かった・・・」

 一輝の様子を見ていた潮に勘が働く。

「ハルキ、なんかあったんスか?」

 潮は普段は驚くほど大雑把だが人の感情の機微に対して妙に鋭いところがある。一輝はその言葉を受けてギクリとした表情になる。

「いえあの・・・実は、今はもう解決している・・・とは思うのですが」
少しためらいがちに話し出す。

 潮はビールの入ったグラスを片手に、つまみを頬張りながら気の抜けた調子で、うんうんと相槌を打つ。やや重苦しい雰囲気のハルキ父を前にしても、寸分変わらずいつも通りのマイペースさを貫いている。

「今から少し前、反抗期・・・のようなものがありまして」

(ようなもの・・・?)

 潮は一輝の言葉の歯切れが悪いのが引っかかったが、反抗期ならその年頃にはよくある事だと相槌を打つ。

「へえ、あのハルキがねぇ、でもまあ『そういう時期』ですからね。」
「ハイ、私もそう思ってあまり深刻に捉えていなかったのですが、それが良くなかったようで―――。」

 今から約二年前、ハルキが中学二年生の頃、姉である長女の朱美(あけみ)が高校三年生で学校を中退した。

 ハルキの家庭は父子家庭であったため男手ひとつでは行き届かない部分があるのだろうかと、一輝は娘をだいぶ甘やかして育てていた。その長女が反抗期になると元来の性格に輪をかけて気難しくなってしまい、非行も目に余るものとなっていった。親心から厳しく叱ることを繰り返したが、かえって強く反発され逆効果となってしまったのだ。

 彼女はついには家を飛び出しその後、一時行方不明となった。やっと居場所を突き止めた時にはすでに遅く彼女は恋人と同棲をしており妊娠していた。その後は未成年(19歳)のうちに、出産、結婚と立て続けの事態となった。

「その時は本当に大変でして・・・結婚相手もまだ大学生でしたし、本当に一体どうなることかと・・・今思い出しても胃が痛む思いです」

「はー・・・そりゃ親としては一大事でしたね。」

「あの時は、私も長女の事でいっぱいになってしまい、ハルキにはまるで手が回らず今思えば可哀想なことをしてしまいました。そういった事が原因か解りませんが、気がついた時にはもうすでにハルキは私に対して心を閉ざしてしまっていました。」

 一輝は長女の件で、少なからず親としての自信が揺らいでいた。だから本来なら叱るべきところや話し合うべき場面でそれが出来なくなっていた。ハルキならしっかりしているから放っておいても心配ないだろうと自分にいいきかせて―――。

「そうしているうちにハルキの反抗期は酷くなってしまいました。」

 ついには中三の進路を決める大事な時期に、何日も学校を休み家にも帰らない日が続いた。さすがにこのままではまずいと思った一輝は、行動に出た。

 夜半に帰宅したハルキは、玄関先で待っていた一輝にわずかに驚いた表情を浮かべたがすぐ何事もないように微笑むと「ただいま」と言って一輝の横を通り過ぎ自分の部屋へ真っ直ぐ向かっていく。

 ハルキはいつからか、「こう」なっていた。反抗期というにはあまりにも反抗せず一輝に対し言葉を荒げることは決して無い。のだが素行だけは目に余るほど酷く深夜に帰って来ることは度々になり、何度注意しても悪びれもせず落ち着いている。
 それはむき出しの怒りを向け反発をしてきた姉の反抗期とは対照的であった。そんな風に比べるものでもないが、ハルキの方が感情が一切みえない分より拒絶が大きいように感じてしまう。

――何も期待していない。親は必要ない。そういう事だろうか・・・

 そう感じつつそれでも一輝はハルキの後を追い部屋に入られる前に慌てて彼を捕まえた。

 ハルキは掴まれた手を払うことなく、しかし振り返ることもなく「このままでは進学できないどうするのか。」という一輝の問いかけを黙ってきいていた。


 二人の間に重い沈黙の時間が流れる。一輝の位置からは後姿なのでハルキの表情は見えない。だが、このままうやむやにするわけにはいかないと一輝はハルキの手を掴んだまま離さなかった。

「ハルキ・・・学校に行きたくない理由があるのか?お前が何も話さないから心配なんだ。悩んでいることがあるなら、父さんに話すことはできないのか?」

 ハルキはその言葉にも何も反応しない。しかし空を仰ぎ見るように上を向くと、しばらくその姿勢のまま沈黙し、観念したように口を開いた。



「解ったよ父さん。学校へちゃんと行く。心配しなくて大丈夫だよ。」



 ハルキはゆっくり一輝の方に向き直ると、静かに微笑んでそう答えた。相変わらずハルキの心境は分からないままなのが気にかかったが、あっさり一輝の話を聞き入れたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇



「その言葉に嘘はなく、その後は高校に進学することができました。今も通っています・・・。ですがハルキが何を思ってるのか、結局今でも解らないままで・・・。」

 問題は解決したように思えて二人の関係は戻ったとは言いがたい状況だ。ハルキはまだよそよそしい態度のままだという。

 一輝はグラスを片手に肘をつきもう片方の手で額を覆ってうなだれていた。この様子を不憫に感じた潮はその日は明け方まで、一輝の話に付き合ったのだった。

 でもそれきり一輝とは連絡をとっていないそうだ。




「ハルキの父ちゃんってなかなか苦労性な。ちょっと可哀想だったぞ」とのん気に笑っている潮を横にナツオは思う。

(ハルキ・・・家出しているってきいていたけどやっぱりお父さんと上手く行ってなかったんだ・・・)

 しかし身近にいる父親すら理由が分からないのだ。どんなに考えても今のナツオに分かるはずもなかった。







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