第5話-5




―――いつの頃からだっただろう。父さんの顔をまともに見れなくなったのは・・・




「朱美!いい加減にしろ!今何時だと思っているんだ!」
「うるさい!三者面談すら仕事で来ねー奴が、偉そうに父親面すんな!一生仕事してろ!」


 時刻は午前0時。

 今から約三年半前の神原家にハルキの父、一輝と長女朱美の言い争う声が響き渡る。ハルキが中学一年生の頃、父と姉はこうしてに口論になることが多かった。

「朱美!親に対してなんて口のきき方だ!」
「こっちは父親なんていらねーんだよ!お母さんが生きてたら良かったのに!!」


(あーあ今日もやってんのかよ、うるさくて眠れねーな・・)


 最初こそ戸惑ったものの、こうも日常的に繰り返されるとさすがに諦めざるを得ない。こういう時ハルキは布団の中で若干の愚痴を零しつつ、いつも静かに耐えていた。




 そんな最中、例の事件が起きた。


「ハルキ、部活の先輩相手にケンカをしたそうだな、今日担任の先生から連絡があったぞ」

 父は抑揚の無い低い声でハルキにそう告げる。ハルキにはその口調が怒っているのか、それとも働きすぎで疲れているからなのかが判別できなかった。だだ、ハルキにとっては普通に怒られるよりも、『怒っているかいないかわからない態度』を向けられる方が怖かった。父から見放されてしまったように感じるからだ。

 色々大変な時期に自分まで迷惑をかけてしまった罪悪感と、ケンカの激しさを物語るように顔のあちこちに出来た傷やアザを見せたくない気持ちでまともに父の顔を見ることができない。


(久しぶりなのにコレかよ・・・・)


 最近はめっきり父と顔を合わせる事がなくなっていた事を寂しく感じていたハルキは、話ができるだけでとても嬉しいはずだった。だが、父は基本的にほとんど仕事で不在であったし、それ以外の時間はほぼ朱美に取られてしまっていて、ハルキとの時間など無いに等しかった。だから皮肉なことに、こんなこんな形で何か問題を起こさない限り二人での時間など、存在し得なかったのだ。


「え・・とゴメン・・・なさい」

 ハルキはバツが悪そうにリビングのテーブルの対面に座る父に謝罪の言葉を向けた。


「・・・・最近のお前は、先生やクラスメイトにどういう態度を取っているんだ?随分先生に手を焼かせてるそうじゃないか。なんでも、クラスメイトの女の子をすぐに泣かすとか・・・」

 そんな恥ずかしいことを本当にしているのか?と一輝はハルキに問いかける。

 担任の音原という男は、ハルキの事を良く思っていない。だからこの機会に悪意のある偏った情報を一輝に語ったとしても、なにも不思議ではなかった。

「ちょっと待てよ、父さん!泣かせたのは本当だけどっ・・・!」

 園宮を泣かせた事は事実だが、こちらの事情も聞いて欲しかった。だが乱闘事件を起こした事実を知った直後に素行の悪さまで知らされた一輝に対して、馬鹿正直なこの返答はあまり良くなかったようだ。

「あのなあハルキ・・・部活にしても、女子生徒にしても納得がいかない事があったからといって攻撃的になる前にまず相手としっかり話し合いなさい」

「で・・でもあの・・」

「少しだけ見かけた事があるが、最近お前が仲良くしているサッカー部の子、随分ハデだな。もしかしてその友達から悪い影響を受けているんじゃないか?」

 『サッカー部』の子とは間違いなく雪村の事だろう。ハルキは一輝が雪村の外見でレッテルを貼った事にショックを受けた。それは、つまりハルキの事を信用していないという事なのだと思うとなおさらだ。

「ユキトは・・・そんな奴じゃないよ」
「といってもなあ、ナツオ君と仲が良かった頃の方がお前は――」
「なんだそれ!!?ナツオなんか関係ねーよ!あんな奴と比べんな!!」

 突然ナツオの名前が出てきた事に、思わずテーブルに勢いよく両手を突いて立ち上がってしまう。この時のハルキに取ってナツオは心の傷――それも、まだ血も止まらない程の生々しいものだったのだ。もちろんそれはナツオとの突然の別れが原因だったのだが、事情を知らされていなかった一輝にはなぜハルキが声を荒げたのか、理解できるはずもなかった。



「はあ・・・」

 しばらくの重い沈黙の後、一輝が何かを諦めたようにため息をつく。

「もういい。悪いけど今日はもう寝る」

 そういって気だるそうに椅子から立ち上がるとハルキに背を向けて寝室に向かい出した。


「お前はもう少し手のかからない子だと思ってたんだけどなあ・・・」


 そう言い残して部屋から去ると扉の閉まる音が響き渡った。リビングに独り残されたハルキは絶望的な気持ちに打ちひしがれる。

 父のその言葉がハルキの心の深い部分にまで容赦なく刺さる。それは深く突き刺さったまま楔となりその先永遠にハルキを戒める事となる。





―――父サンニ迷惑ヲカケテハイケナイ。手ヲカケサセテハイケナイ。



 そしてこの後のある出来事により更に強固なものとなり、ハルキに取って己の命よりも重い枷となるのだ。






 ハルキの運命を変えた忌まわしいあの日。雪の降りしきる中。



 その女は現れた。






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