第3話-2



 翌朝

 弱い雨がしとしとと降っていた。
 ナツオは憂鬱な気持ちのまま登校した。教室の片隅、自分の席で一人静かに机に突っ伏している。最近よく落ち込むせいで、このポーズになる事が多い。

「はあああ・・・・」

 昨日の事を考えれば考える程、ため息が出てきてしまう。



 我ながら悪手だったと思う。



 色々暴言は吐かれたものの、ハルキが怪我をしてまで庇ってくれたというのもまた事実だった。だから、結局お礼のひとつも言わなかった自分の態度にも非があったのだと後悔していた。

 なにより彼女はなぜハルキが動揺した表情で――それも少し傷付いたような面持ちで逃げ去ってしまったのか意味が解らないまま罪悪感を持ってしまっていた。


(ああ、もう!!シャキッとしろ!私!)


 心の中で自分に活をいれるが、効果は乏しい。思うようにいかない気持ちに苛立ちがこみ上げて来る。


「おはよう、高橋さん」
「あ、詩乃ちゃん・・・」


 朗らかな声で挨拶をされたナツオは、たった今かき回してボサボサになった頭を上げて詩乃を見た。詩乃はその姿に小さく驚いたあと、おもむろに自分の鞄からブラシを取り出しナツオの髪を整えてくれた。
 その後、可愛らしい飾りの付いたヘアゴムを二つ使い、耳の高さと同じくらいの位置でツインテールにしてくれた。

 時間はわずかであったが、詩乃の見事な手腕にナツオは驚いた。手鏡で確認すると詩乃の付けてくれた花の形をした小さな飾りが、光を反射してキラキラと輝いており、とても綺麗だった。気づけば先程とは比べられない程心が軽くなっている。


「わー!ありがとう詩乃ちゃん!」

 椅子に座ったナツオは目を輝かせて、自分のななめ後ろに立つ詩乃を見上げた。


「高橋さん二つ結び、絶対似合うと思っていたの。思った通り可愛いわ!」
「そ、そうかな!詩乃ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいよ!でもあの、この髪留め・・・・」
「良かったら、それもらってくれるかしら?」
「ええっ!いいの!?」
「ええ、もともと高橋さんに渡そうと思って用意したものだから。」
「私に?」
「気休めかもしれないけれど、髪型を変えると気分も変わるかなって。高橋さんが少しでも元気になればと思って・・・・」


――おせっかいだったかしら?
と詩乃は照れながら話してくれた。理由を打ち明けていなかったにもかかわらず、ナツオがここ数日思い悩んでいた姿を目の当たりにして、ずっと心配してくれていたのだ。

 その心遣いにナツオは胸の奥がじんわりと温かくなっていくのを感じた。


(くじけそうになってたけど、詩乃ちゃんのおかげでもうちょっと頑張れそうだよ・・・!)

 思わず詩乃に抱きついて礼を述べたのだった。





◇◇◇◇◇◇◇◇





 午前中から降り続けた雨は午後になっても止まなかった。そのせいか、小さな不快感を感じる湿度の中、教室全体にじめっとした空気が漂っていた。


「ねえ、知ってる?神原って昨日教室で女子に暴力振ったんだって!」
「えっ!何それ怖ー!なんか、いつも無口でおっかないと思ってたけど、そこまで柄悪かったの?」
「あたしも帰っちゃった後だったから、知らなくてびっくりしたけどさ、ユミ達が見てたから間違いないわよ。なんか転校生の女子ともめて、思いっきり蹴っ飛ばして泣かせたらしいよ」
「はあ?暴力とかマジでありえないんだけど!」
「でもアイツって武田の友達じゃん?」
「あー武田もこの前、前田さんの事泣かしてたよね」
「アイツも柄悪いし、言い方とかいちいちキツイし類友ってやつ?」


 今まさに教室の隅で、女子がそんな噂話をしているのを耳にして雪都はため息を付いた。
 昼休みがあと少しで終わる今の時間、大部分のクラスメイトがそれぞれに雑談をしていてざわついているから、本人たちは会話が漏れているとは思っていない様子だが雪都からみれば前方、五メートル程の位置である。そちらに意識を向けていれば、ところどころ雑音に消されても大体の内容が聞き取れる。

 そして、今彼の隣にはハルキがいるのだ。間違いなくハルキにも聞こえているだろう。雪都は思わず心配と困惑が混ざった表情でハルキの方に目を向けた。


「大丈夫だよ雪都。別にこういうのは慣れてるから。」


 ハルキは雪都と目が合った事に気づくと一瞬だけ小さく微笑み、そのあと淡々とそう口にしたのだった。その表情から彼の心境を読み取ることはできなかった。ただ、「お前が気にするな」と逆に気を使われてしまって、雪都はなんともいえない気持ちになったのだった。




 午後の授業が始まっても、雪都はハルキの事が頭から離れずにいた。
 先ほどの噂にしても、すでに事実とは異なる。転校生と揉めたのは確かだが、ハルキが蹴ったのは壁であって女子生徒ではない。にもかかわらず噂が、まるで悪意のように尾ひれをつけて広まっているのだ。


 高校生活でのハルキは、あまり積極的にクラスメイトたちとは交流していなかったせいで、彼らの大半からは、少しとっつきにくい印象を持たれてはいたものの、これまでは別段嫌われてもいない立ち位置だった。

 見た目は悪くないので、たまに女子生徒から想いを寄せられることがあっても、それに興味を示すことは全くと言って良い程なかった。だからハルキと交友があったのはごく少数、雪都が知る限りでは中学時代から付き合いがあった自分と雪都の幼馴染の八峰、それからハルキと小学校時代に知り合いだったという武田くらいだろう。


 以前の人懐っこかったハルキの性格から考えるとまるで別人のように思えてしまうが、それでも雪都に対するハルキの態度は友達と呼べるものだった。つい先ほども心配したら逆に気を使われてしまった。人と距離をおくようになったこと以外、ハルキはやはりハルキのままなのだと雪都は感じている。


 それでも、この噂のせいでハルキの立場は悪くなる一方だ。


(そういえば、園宮の時もある事無い事言われていたな・・・・)



 雪都は中学時代、ハルキにつきまとって迷惑を掛けたクラスメイトの存在を思い出した。

 園宮は、いつも頭の両サイドに大きなリボンをつけたツインテールの少女で、可愛らしい――彼女をそう評価する男がいても、おかしくはない容姿をしていた。だから雪都やハルキからみればとんでもなく非常識な性格でも、男子の一部からは人気があり、彼女と関わりのあるハルキに良い感情を持たない連中が出てきてしまったのだ。

 園宮という女は自分の容姿の活かし方を熟知していて、当時担任だった男の教師まで自分の味方に引き込んで、何かと優遇されていた。
 自分に都合が悪くなるととたんに泣き始める彼女は、企んでわざとやっているのか、心から自分が悪いとは思っていないからなのかは分からないが、被害者側に回るのが上手く自分の涙が武器になることを知っていた。一方で同じ女子生徒達からは嫌われていたが。


 雪都は昨日の転校生について何も知らないが、あんなに大勢がいる前で涙を流した彼女の姿を思い出し、どことなく園宮と雰囲気が重なった。

――あれが『ワザと』なら・・・。そう思うとゾッとする。


 彼女が『普通』の神経をした女子であれば。


 それを前提とするならば、大勢の前で我慢しきれず泣いてしまう程の拒絶を受けたのだから、これ以上関わってくることはないだろう。


(もう、ハルキにつきまとったりしないといいんだけど・・・・)


 雪都はそう願わずにはいられなかった。






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