第3話-5




 翌日


 その日は空に厚い雲が覆い、どんよりとした天気だった。
 ナツオが登校すると、詩乃はすでに席についておりなにやら難しい顔をして俯いていた。彼女の机の上に置かれたカバンに隠れてしまっているが、手元の何か
――電話機を操作しているような仕草に見えた。


「おはよう、詩乃ちゃん」

 ナツオが歩み寄り声をかけると、詩乃はそのとたんギクリとした顔になり慌ててそれまで見ていた何かをカバンの中にしまった。それはまるでナツオに見られてはいけないものを隠すような動作に見えた。

「お・・・おはよう、高橋さん!」

 詩乃はすぐに笑顔で挨拶を返すが、どうにもぎこちない。


(なんか詩乃ちゃんの様子がおかしい・・・)


「どうしたの、詩乃ちゃん何かあった・・・?」
「あっ・・・あのね!高橋さん今日――・・・」

 詩乃はそこまで言いかけたところで言い淀む。
「ううん!なんでもないの、ごめんなさい!私ったら・・・!」

そして申し訳なさそうにナツオに謝罪した。ナツオは彼女の様子が気になったが、なんだか触れてはいけない気がしたので追求しなかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇




 昨日は、放課後にも出向いたが結局ハルキに会うことができなかった。雪村に関してはインフルエンザが原因で休んでいるようだったので今日も引き続き欠席だろうと予測できた。

 ナツオは、授業が終わると猛スピードで支度を整え、ハルキの教室へとたどり着く。急いできた甲斐があったというべきか、入り口から覗くと教室の中にハルキの姿を確認することができた。

――が、ナツオが押しかけて来る事は前もって警戒されていたようだ。先日より遥かにすばやく八峰が現れるとドアの前に立ちふさがり行く手を阻まれてしまった。

「あっ!ちょっと!通し――」
「こっちは抑えておくからさっさと帰れ、神原」

 八峰はナツオの主張など相手にもせず、入り口をふさいだ体勢を変えないまま軽く後ろを振り向いてハルキに向かって声をかけた。
 その事に短く礼を述べたハルキはすでに反対の出入り口に向かっている。

「まっ・・・!待ってハルキ!」

 慌てて八峰を振り切り、ハルキの方へ走り出そうとしたが、上手くいかない。八峰がナツオの行く手に回り込んで邪魔をしてくるのだ。

「あーもう!!通してよ!!」
「はいはい、通しませーん!」
「邪魔だってば!」
「邪魔なのはおまえだろ!」


(早くしないとまたハルキを逃がしてしまう!!)

ナツオは焦りから、声を荒げてしまう。




 その騒々しいやりとりの中、武田は黙々と帰り支度を整えていた。

(まだやってんのかよ・・・)

 武田は辟易する。武田からすれば他人事だが、それでもあまりのしつこさと騒がしさに日に日にナツオに対する嫌悪感が高まってきている。武田は遠くから眉をひそめてナツオを一瞥すると彼女のいない方の出口に向かう。ちょうど同じ出口に向かって歩いているハルキのやや後ろに武田が続く形になった。




「もうどいてったら!」
「はい、通しません!バリアー!」


 八峰の言動にナツオの内に眠っていた嫌な記憶が蘇る。


――ハイ、バリアー!
――藤原様にお前みたいなのが近づけると思うなよ


(あー・・この状況アイツらを思い出す、あの時もこうやって教室で邪魔をされて――)


 それは小学生時代の悪夢。転校生の藤原とその手下たちの記憶だった。
 藤原は狡猾な悪ガキで大人の前では本性を隠しつつ、周りの子供をいいように操り自分の配下としていた。当時それに立ち向かったナツオは藤原にもその手下にも大変手を焼かされたのだ。

 事情は違うが状況が重なったため、つられて怒りまで跳ね上がってきた。


「あーもう!何がバリアーだ!お前、『藤原』の手下かよ!!!」
「はあ?誰だよフジワラって」


 ナツオは威勢よく吠えたが当然、八峰はなんのことか分からないという表情を向けた。だがその言葉を聞いていた武田とハルキは同時に目を見開いた。そして武田はあることに気づく。



「お前もしかして『タカハシナツオ』か?」



 考えるより早くナツオの前まで移動した武田は本人に問う。

「えっ・・あ、うんそうだけど・・・?」

 ナツオは突然の出来事に驚いた。唐突に割り込んできた武田に、八峰もあっけにとられている。

「はあ・・・例の『タカハシ』が神原のストーカー女だったとはな。そんなんわかるかよ。」

 武田は呆れた様に独り言を呟くやいなや、ナツオのセーラー服の襟首をつかんでこの場の事情などお構いなしに歩き出す。

「じゃ、ちょっと来い」
「はっ?え・えっ、何!?」

 ナツオは有無を言わさず、引きずられるように歩かされ始めていた。訳が分からずすっかり混乱している。
 やぶから棒に名前を確認されたが、ナツオの方は相手の名前も知らない状況だった。しかも驚くほど大柄で、存在そのものに威圧感がある男だ。その男に何がなんだか解らないままどこかに連れて行かれそうになっている。嫌な汗が頬を伝ってきた。
 その時、武田が電話の着信を知らせる振動音に気づく。ポケットから取り出し通話を始める。



「ああ、お前かちょうど良かった。今『タカハシナツオ』って奴捕まえたからそっちに連れて行ってやるよ。―――は?知らねーよ、始末はそっちでつけろ」



 なにやら誰かと自分の話をしているが「始末」というぶっそうな響きの言葉が出てきた事にナツオは血の気が引いた。そもそもなぜ自分を知っているのか。一体誰と話しているのか。



「・・・おい、ソイツどこに連れて行く気だよ」



 武田の後ろから彼の肩を掴んで意外な人物が口を開いた。


――ハルキだ。


 ハルキは困惑を隠せない様子で武田に問いかけた。武田は表情に出さなかったが、内心驚いていた。まさかハルキがわざわざ口を出してくると思わなかったのだ。あんなにナツオを避けていたのだから、この隙に立ち去ってしまうものだろうと思っていた。
 ナツオも驚いていた。こちらは全力で顔に出ているが、奇しくもこの時武田とナツオ、二人の心情は完全に重なっていた。


「なんだよ、神原。お前には関係ねーだろ」
「武田・・・お前ら知り合いなのか?」

 ハルキは神妙な面持ちで武田に問いかけた。その声がやけに弱気で不安の色さえ感じられることに武田は疑問を抱かずにはいられなかった。ハルキは以前「全然知らない女に付きまとわれている」と言っていたはずだが、どうもそうとは思えなくなってきた。

「神原おまえさ――」

「ああああああああああああ!!!!!」

 武田が何かを言いかけた時、それをかき消すような雄たけびがあがる。

 ナツオだ。

「タケダ!!!!思い出した!!!うわっタケダだ!!!!」

 ナツオは思わず勢いに任せて武田を指差した。ハルキの発した「武田」という名前に過去の記憶が一気に蘇ったのだ。

 彼女は昔その名前を聞いたことがある。それもかなり悪名に近い形で、だ。





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