第3話-6




―――タケダ

 ナツオの脳裏にあまりに鮮烈に蘇る記憶。
そうさせる程の強い印象を持つ名前。


―――タケダっていうのはさ、藤原の手下だった奴。


 そう話をしてくれたのは、当時ナツオの野球友達だった男子達だった。

―――コイツがもー、スッゲー凶暴でさ。そんでもってとんでもなくデカイ図体してやがるから、マジで誰も手に負えない状態になったんだわ。


 市村一鷹(いちむらいちたか)と久我慎太郎(くがしんたろう)。彼らはハルキの同級生で同年代の男子達より大人びた風格と強さを持っていた。ハルキを含めた周りの男子達から慕われているのはもちろん、ナツオの目から見ても彼らはリーダー的な存在であった。

 だからそんな二人が口を揃えて『ヤバイ奴』だと告げた彼の名が強く印象に残っていたのだ。

 そして何よりも・・・


―――刃物
―――タケダは常にそれを持ち歩き、怒りに任せて振り回す。


 伝え聞いたその恐ろしい話がナツオの中で『タケダ』という人物を象徴している。



 数年の時を経た今でも――。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「タケダがどうして私の事知ってるの!?」
「はあ?お前こそ、なんで俺の事知ってんだよ。」



 二人はお互いに不可解な気持ちで顔を見合わせた。

 ナツオは『タケダ』を一方的に知っていた。だが自分の事は知らないはずだ。
一方武田も同じ事を考えていた。彼の知る『ある人物』から伝え聞いただけの「タカハシナツオ」がなぜ自分を知っているのかと。


「つーかよ、俺はお前なんか知らねーからな。だいたい『鉄バット』なんてぶっそうなもん振り回す知り合い、俺にはいねーんだよ」
「なっ・・・なんでそれ!!」

 ―――鉄バット

 それはナツオにとっては黒歴史であるあの時―――藤原たちとひと悶着起こした際に使用してしまったものだった。武田のつながっている相手は藤原事件の関係者だろうか。

 いや、そうだとしても―――

「鉄バット!?その話誰からきいたの!?」

 ナツオはその事をハルキにさえ話していなかった。他校にいた武田の耳にどうやって入ったのだろうか。

「私が自分から話したのだってあの二人・・・イッチーと真太郎だけなのに」

 ナツオはつぶやく、思わず思考が口に出てしまったのだ。ナツオは当時成り行きでその二人の男子にだけ、その一部始終を話していた。だが彼らが武田に話すとも思えない。第一彼らはナツオを女子だとは知らないはずだ。

「あー!お前アイツらの子分だったわけか。どーりで凶暴なわけだ」

 武田はナツオの出した人物について覚えがあった。彼にとってはあまり良い印象の相手ではなかったためか思わず憎まれ口になってしまう。それがナツオの神経を逆撫でしてしまった。

「誰が子分だよ!ていうかタケダがあの二人を凶暴なんて言える立場なの、自分こそ凶暴刃物男のくせに!!!」
「なっ!!?」
「私に一体何の用なの!?それに今電話してた相手は誰!!」
「は!誰が教えるかバカ!」


 武田もまたナツオの言葉が癇に障っていた。二人の会話はヒートアップし売り言葉に買い言葉になっていく。ハルキと八峰は、もはや完全に蚊帳の外だ。

「まあでも、身に覚えがあるんじゃねーか?」
 武田は意地の悪い笑みを浮かべながらナツオを見た。
「は?!」
 その含みのある言い方にナツオはさらに不快感を露にする。
「お前に恨みを持ってる奴なんて、いくらでもいるんじゃねーのかってこった。せいぜい身近なところ気をつけておけよ?」
「何が言いたいんだよ!!」
「例えば―――お前のクラスの『メガネの女』とかな」

 メガネの女、その言葉にナツオの背筋が凍った。


―――詩乃ちゃんだ



「なっ・・・!!なな何を!?詩乃ちゃんに一体何をしたの!!」
「ぷっ、さあな!でも会いたいなら会わせてやってもいいぜ?今、電話してた奴が捕まえてるみたいだからな」
「なっっっ?!!!」


 武田はナツオの慌てる様子を嘲笑すると、とんでもない事を言い出した。

(詩乃ちゃんが人質に取られている・・・?)

 武田の言葉はナツオに大きな衝撃を与えた。ナツオは今朝の事を思い出す、あの時の詩乃は明らかに様子がおかしかった。もし脅されていることが原因でナツオに助けを求めようとして躊躇ってしまったのなら―――
 その時の事を思い出し、言いようが無い程激しい怒りが湧き上がってくる。

 ナツオの頭の中で何かか切れる音がした。




 次の瞬間
 けたたましい音とともにガラスの砕ける音が響き渡る。





 ナツオは武田に殴りかかっていた。だがその拳は寸でのところでかわされてしまった為、武田の背後にあった廊下の窓ガラスをそのまま突き破った。
 散乱したガラスの破片に赤い血が滴る。ガラスを割った衝撃でナツオの右手から流れ出したものだ。

「よけんなよ!!ガラス割っちゃっただろーが!!!」

 突き出した右手を大きく振りかぶり、自身の胸の前できつく握りしめながらナツオは武田を怒鳴りつけた。その激しい動作でさらに血が四方へ飛び散ったが、本人はまるで気に留めていない。

「っっっアホか!!普通によけるわ!」

 武田は肝を冷やしたようにそう言い返す、まさか突然殴りかかってくるとは予想していなかったため動揺を隠せていない。

「ふざけんなよ!!!このゲス野郎!!!詩乃ちゃんに一体何をしやが―――」
「ま・・・待てナツオ!!武田はそういう奴じゃない!これは多分違―――」

 ナツオは激昂のあまり我を失っていた。まるで牙をむく猛獣のような勢いで武田に掴みかかろうとしたその時、ハルキが武田をかばうように二人の間に割って入った。慌てているせいか彼は自分でも気づかないまま、今まで一度も口にしなかったナツオの名を呼んでいた。


―――が。


 ナツオはその事に全く気づいていなかった。今彼女の頭の中は友人である詩乃に危害を加えられた怒りが全てを占めている。



「うるさいっ!!関係ない奴はひっこんでろ!!!!」



 ハルキがまだ話しきらないうちに凄まじい勢いでそう言い捨る。ナツオの視線は射殺さんばかりに武田に向けられたままだが、その場にいる者全てを圧倒する殺気を放っていた。
 ハルキはナツオの剣幕に呑まれて言葉が続かない。その時廊下の向こうから慌しく走り寄ってくる足音が響いた。


「高橋さんっ!!どうしたの!?」

「えっ・・あ!!詩乃ちゃん!!!?」


 ナツオはここにいるはずのない詩乃の姿に目が釘付けになった。その後ろにもう一人、人物がいたのだが彼女の目には入っていなかった。


「どうしたの、その怪我っ・・!」
 詩乃はナツオのただならぬ姿に衝撃を受けていた。両手を口に当て痛ましそうな表情をナツオに向けた。
 ナツオは思いがけず詩乃の無事が確認できたことで、それまで感じていた怒りも不安も消え失せた。緊張が一気に解けたことで涙腺も緩くなったようだ。ナツオの目には今にもこぼれそうな程涙がたまっていた。


「わああ!!詩乃ちゃん!!無事で良かったああ!!!」
「ひゃあ!?たたた高橋さん!!?」


 感極まって詩乃に勢いよく抱きつくと詩乃が顔を赤くして焦りだした。

「な、何か良く解らないけれど、すごい血よ!とにかく今は保健室に行きましょう!」

 詩乃は戸惑いながらもナツオの腕を優しくほどくと、セーターのポケットからハンカチを取り出しナツオの右手をすくい上げ出血部に当てる。

「し・・・詩乃ちゃん、大丈夫だったの?だって人質にとったってタケダが・・・・」
 ナツオは気が抜けきった声で詩乃に問う。次の瞬間武田がギクリとした表情になったとほぼ同時に詩乃の後ろにいた人物が口を開く。



「厚士!あんた高橋に何てことしてくれてんのよ!!」



 ショートカットですらりとした体型の少女は怒りを露にして武田を叱りつけた。ライトグレーのブレザーに紺色のリボン型ネクタイを付けている他校の生徒だった。背丈はナツオと比べるとだいぶ高く感じるが女子の平均よりやや高い164〜5センチ程度だろう。


「ちっ、俺はなにもしてねーんだよ。お前こそなんで来たんだよ花菜子・・・」
 武田はきまりが悪そうに相手から目をそらした。
 ナツオは彼女の姿に清楚で溌剌とした印象を受けた。その印象が記憶の中の人物と重なる。


「あっ・・・!葉瀬っち!!!」

 ナツオは思い出した。
 葉瀬花菜子(はせかなこ)―――彼女は小学校時代のクラスメイトだ。ナツオの知る彼女はいつも長い髪をポニーテールに整えていた。その長い髪をばっさり切ってしまったため少しだけ雰囲気が違って見えたが、それ以外は当時の印象を強く残して成長をしていた。

「ゴメンね高橋!私のせいで・・・・!!」
「えっ、なんで葉瀬っちのせい?ていうかタケダと知り合いなの?」
「あっ・・あのね!実は―――!」
「何事ですか!!?ガラスを割ったのは誰です!?」


 突然乱入してきた人物がナツオと花菜子の会話を打ち切った。教師が来てしまったのだ。これだけ騒ぎを起こせば当然といえば当然だが他の生徒に通報されたようだ。

 その後当事者であるナツオたちは職員室で事情聴取をされることとなった。






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