第4話-5
――父さん ――ごめん、父さん 心地の良い夢をみていた。ハルキがまだ子供の頃の記憶。父が笑顔でハルキに向かって話しかけている。他愛のない会話をしているだけだがとても心が弾んでいた。夢の中だからか、周囲は少しぼやけていて光に包まれているように優しく温かい。 ――ねぇ? ――そこは本当にアンタの世界? 突如どこからかそんな声が響き渡った。それは意地悪く不気味な声で、全てを否定するようにハルキをあざ笑った。 ハルキはその声に背筋が凍りつく。相手が誰なのか分からないのに、堪えきれないほどの嫌悪感が沸いてきていた。その声の持ち主を探すように周囲を見渡すが姿を見つけることができない。 笑い声はその場の全てを呑み込んでいくように不気味に鈍く残響する。 「・・・お前は誰だ?!」 ハルキの問いかけに答える者はなく、代わりに周りの景色がボロボロと崩れ落ち始めた。崩れてゆく程、徐々に記憶が蘇ってくる。 思い出したくも無い現実の記憶――。 それに耐えられなくなり、息苦しさを覚えて思わず膝をついてかがみ込んだ。顔を上げると、すでにそこには何も無くなっていた。それまでいた部屋も父も目に映る全てが崩れて跡形もなく消え、ただ独りハルキだけが取り残されている。 真っ暗で何も見えない。果てしなく広がる闇。 「思い出した・・・・。」 全て思い出すと同時に自分が夢を見ていることにも夢の中で気がついた。どうせみるなら最後まで優しい夢のままでいて欲しかった。とハルキは思った。 脳裏には、随分長い間まともに言葉を交わしていない父の姿が浮かぶ。たった今夢の中で久しぶりに見たその笑顔が、あまりにも鮮明だったためか思いが溢れ出してきて止まらなくなった。胸の奥が詰まり苦いものがこみ上げてくる。 (ごめん・・父さん・・・) 気づけば久しぶりに泣いてしまっていた。 どんなに泣きたい気分になった時でも堪えていたのに、この時はそんな風に考える事もなかった。夢の中のハルキはまだ子供の姿のままだったから『これは今の自分ではない』と思って気が緩んだのかもしれない。 「・・・キ!・・・ハルキ!」 また声が聞こえた。でも今度は誰の声か解る。 ――ナツオだ。 彼女もまたハルキの記憶の中にある子供の姿をしていた。不思議そうな顔でハルキを覗き込んできた。 「ハルキ?こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ」 ハルキは自分が公園にいる事に気づく。セミが忙しなく鳴いていて日差しも真夏のように強いのに不思議と暑くなくて、まるで春の日の柔らかな太陽の下にいるような心地良さだった。 木漏れ日の光がキラキラと地面に反射しているのが目に映る。ハルキは自分が木陰に座ってうたた寝をしていたのだと『思い出した』。この世界が現実だと認識し始めると、今までの記憶は薄れて行き、今までどんな夢をみていたかも思い出せなくなっていた。 「ナツオ・・・俺は・・・?」 「もー!寝ぼけてるならもう俺一人で行くからね!」 「ま・・まて!俺も」 慌てて立ち上がろうとしてよろめいてしまい地面に手をついた。 「あはは、そんな慌てなくても冗談にきまってるじゃん!ハルキとはずっと一緒だからね!」 ――ずっと一緒 その言葉に激しい違和感が走る。 ――ずっと一緒? (・・・いやそんなはずがない) ハルキはまた気がついてしまった。これもやっぱり夢だと。 「お前は嘘つきだ・・・・」 搾り出すような声でそう告げる。猜疑に満ちた眼差しを向けているのにナツオは無邪気に笑っていた。 いや―― まるで時が止まってしまった様に笑顔のまま固まっていた。絶え間なく続いていた木漏れ日の揺らめきも、あれだけ鳴いていたセミの声さえぴたりと止んでいる。 「俺は・・・・知っているんだ。このまま、お前は俺を置いて行くんだって事を――。」 そうだ、ここは「あの日」だ。 この季節 この場所で この時間に――― ハルキにとって忘れられないナツオがいなくなった「あの日」――。 もはや作り物のようになったナツオは笑顔のまま何の感情も宿していない様に見えた。 「お前はそうやっていつも笑って嘘をつく・・・」 ハルキの胸に痛みが広がって行く。 「なのに、なんで俺は」 目の前にある景色が徐々に薄れ始めナツオも遠のいていくが、それを受け入れられない。胸の痛みがどんどん大きくなっていく。 「なんで、俺はお前を嫌いになれないんだ・・・!」 叫びながら、遠ざかるナツオに向かい手を伸ばしていた。ナツオの姿は遠すぎて、手を伸ばしても走っても届くはずがない。 (無駄だって、分かっているのに) それでも――・・・ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 空を掴んだはずの手に温かい感触がある。 目を開くと目の前に誰かがいる。 やけに心配そうな表情をしてこちらを覗き込んでいる。 (誰だ―――) 驚いて目を見開くが、それよりもっと驚いたのは――― 濡れている・・・・顔が・・・・・・ 「・・・・・・・・・!!」 それに気づいた瞬間、頭が一気に覚醒した。 (泣いているっ・・・!なんで!?夢で・・・!?) たしか昼休みに入ってすぐ一人で屋上に来たはずだ。つい眠り込んでしまったが、まさか自分がいつの間にか泣いてしまって、それを見られてしまう事になるとは思ってもいなかった。 (っ・・・!!よりにもよって・・・!!) 目の前にいるのが一番見られたくない相手――ナツオだと気づく。しかもその手をなぜかハルキ自身が握っている。最悪だ。羞恥と混乱で思い切りその手を振り払ってしまった。 ハルキは自分でも何を言っているか分からない程頭に血が上ってしまっていた。それでもどこか一部は冷静に「こんなわけのわからない仕打ちをされれば頭にくるだろうな」と思っている自分がいた。 だがナツオは突き飛ばされた姿勢のまま俯いてしまい予想していた非難がハルキに向かってくることはなかった。 (・・・なんで何も言わないんだよ!) ハルキはその反応に戸惑いを覚えた。もっと怒ってくれれば、罵倒してくれたらどんなに気が楽だったか――と思い苦々しい表情のまま俯いた。 そうこうしているうちに突然現れた人物によって、瞬く間にナツオは連れて行かれてしまった。ハルキはまた置き去りにされたような気分になってその場に座り込んだ。 自分から遠ざけておいて、身勝手で矛盾していると思う。自分でもどうにもできないほど心の中が乱れてぐちゃぐちゃになって、結果的にナツオに当り散らしてしまう。思うようにならない自分の心に苛立っておかしくなりそうだった。 だから会いたくないんだよ―――。ハルキは途方に暮れたように小さく呟いた。 しばらくそうしていると、先ほどまで晴れていた空には雲がかかり太陽を覆い始めた。同時に海の方からの風が強くなってきている。潮の香りとともに重く湿った空気を運んでくる風は、あまり心地の良いものとは言えなかった。これから天気が悪くなりそうだと感じたハルキは、重い腰をあげた。 その時。ポケットからコール音が鳴り響く。ハルキは苦い表情になりため息をついた。分かっていたからだ。 最悪―――。それ以外の何者でもない相手だと。 それでも電話に出る。出なければならなかった。 「――電話してくるなって何度言ったら分かるんだよ、倉谷(くらや)」 『はあ?電話してくるなじゃないわよ。今月分まだ払ってないのはアンタでしょ、だいたい――』 「ふざけるな。お前が勝手に使っちまったんだろーが。」 通話するなり、電話の向こうでまくし立てる女の声を遮りハルキは押し殺しても消しきれない怒りを向けて口を開いた。 「人の金で中絶なんかしやがって・・・!」 |