第8話-4



「アンタは、ハルキに嫌われてるんだよ。」
「また来たのかよ、ストーカー女。」
「俺はこんな女全然知らねー。」

 雪村、八峰、ハルキが、あからさまに嫌悪感をだした表情をナツオに向けている。

「え、どうしたの、皆?もう仲直りしたじゃん!皆私に優しくしてくれるようになってたのに、なんで・・・なんでまた前みたいになっちゃうの・・・・?」

 ナツオは、全身から嫌な汗が流れてくるのを感じながら、ハルキたちを前に恐る恐る口を開く。心臓の鼓動が今にも爆発しそうなほど速くなっている。

「前みたいになっちゃうとか、意味が分かんねーんだけど・・・?俺がお前と仲直りって何わけわかんねー事言ってんだよ。」
「俺がお前に優しくなんかするわけねーだろ。スー子、お前ホントに頭イカレてんだな。」
「ホント、お前とかかわるとロクなことねー。二度と俺の前に現れんなよ、貧乳ブス。」

 雪村、八峰、ハルキは、皆ナツオを白い目で見ながら口々に言葉を吐き捨てた。ナツオは顔面を蒼白にしてその場にただ立ち尽くす。

 もう二度と、もう二度と体験したくないと思っていたあの毎日が、また繰り返されている。

 全てが解決してもう終わったはずなのに、それが夢だったのだと気づいて途方もなく辛い気持ちが押し寄せてきた。

(全部解決したなんて・・・・・やっぱり夢だったんだ・・・・!!おかしいと思ったんだ!!ハルキが、すっかり昔みたいに戻って私に笑いかけてくるなんて、考えてみたらあるわけない!雪村や八峰が・・・あの強力すぎるハルキの友達バリアー二人が、私に優しくなるなんて、そんなはず絶対ないもの・・・!)

 それは考えれば考えるほど、ありえないことだった。今までの幸せな記憶は、ナツオの願望が作り出した都合の良い夢にすぎない。でも全てが解決したと一度思ってしまったナツオの心は、もう一度あの日々に戻り、再び戦い抜く力など、残っていなかった。ナツオの心はもうとっくに、限界を遥かに超えて、頑張りぬいた末に力尽きていたのだ。

(私・・・・私、もう頑張れない・・・・ハルキを助ける事なんて・・・・最初から私には不可能だったんだ・・・・・)

 ナツオは立ち尽くしたまま、闇に飲み込まれていく。




◇◇◇◇◇◇◇◇



 朝のさわやかな太陽の光が、顔に当たり目が覚めた。ナツオは、家のベットで仰向けで横になっている自分に気がついた。瞳からは、大量に涙が零れ落ちている。夢を見ながら泣いていたのだと気づいたが、ナツオの頭は、酷く混乱していた。

(何が・・・・何が現実か・・・・分からない・・・・・)

 ナツオの中には、今二つの現実が、めちゃくちゃに乱れながら混在している。
 一つは全てが無事に解決した幸せな世界。もう一つは、たった今夢で見ていた険悪極まりない世界。ハルキのことを救うどころか、皆から嫌われて、口々に攻撃され続けるそんな日常。

(どっち・・・?どっちが本当の現実なの・・・・?)

 完全に夢から覚醒しているにもかかわらず、頭が混乱しワケの分からなくなった状態のまま、身支度を整えて学校へと向かう。

 そんな危うい状態でも、徐々に記憶が戻っていきお昼前あたりには、不安定になった気持ちが落着き、すべてはもう解決していると気づいて一安心するのだが、ナツオは二月の中旬頃から、度たび同じような悪夢にうなされるようになっていた。
 おそらく、今までは色々なことがたくさん起こりすぎて、現実を正しく認識するのに時間がかかったのだと思う。

 それまでは、突然訪れた幸せな毎日を信じ切れず、現実の中で夢見心地になっていたことが、いよいよ本当の現実だと認識し始めると、同時に奇跡のようなこの幸せな現状が、また壊れてしまうのではないかという強い不安が、ナツオの中でどんどん大きくなっていき、悪夢となって現れるようになったのだ。現実世界を飲み込み、混乱させるほどの強い不安が生んだ悪夢は、じわじわとナツオの心を苦しめた。

 二月が末に差し掛かる頃だった。ナツオはその日の朝も前日悪夢にうなされ、混乱状態のまま、通学路を歩いて学校に向かっていた。今のナツオは、傍目には分からないが、強い不安で精神がかなり脆くなっている。

(夢・・・現実・・・?どっちが本当なの・・・・?ああ、またわけが分からなくなってる・・・・・・。)

 そんなことを考えながら歩いていると、校門のすぐ近くでばったり雪村と出くわしてしまった。

「あ、高橋さんおは・・・」
「ひっ・・・・!!!!ゆ!雪村っ!!?」

 雪村が話しかけてきたことに、ナツオは、全身が凍るほどの恐怖を感じて、思わず後ずさり、悲鳴をあげた。現実の雪村は、温厚でナツオに対してすっかり物腰が優しくなっているが、記憶の中の雪村は・・・敵対していた頃の彼は、ナツオにとってはもはやハルキ以上にやっかいな、恐ろしい存在だった。

「?高橋さん、どうしたんだ?俺だよ俺?雪村だよ。」
「雪村!!!!やっぱりユッキーじゃないんだ!!!こ、怖い・・・!!」

 顔面を蒼白にしたナツオは、怯えながら雪村から逃げようと、彼に背を向けた瞬間、足がもつれて転倒し、そのまま意識を失った。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「あ・・・・あれ・・・・?私・・・・・」
 ナツオが気づくと、誰かに背負われて移動しているところだった。

「あっ!高橋さん、気づいたか?!なんかスゲー混乱してたみたいだけど、大丈夫か!?今保健室向かってるから、ベットに横になって少し休んだ方がいい。」

 ナツオを背負った雪村が、優しい声と心配した口調で話しかけてきた。

「あ、ユッキー!!そのしゃべり方は、雪村じゃなくてユッキーだね!?良かった・・・!!こっちが現実だ・・・!」
「いや、雪村もユッキーもどっちも俺だけど・・・・??高橋さんマジでどうしたんだ?ホントに大丈夫か?」

 保健室に着くと誰もいないようだったので、雪村はナツオをベットの上におろし誰か教師を呼んでくる、とナツオに告げた。

「ゴメン、ユッキー迷惑かけて・・・・」
「いや全然迷惑じゃねーよ。ただ心配なだけだ。高橋さんスゲー様子がおかしいけど何かあったのか?」

 雪村の問いかけに、ナツオはここ最近の悪夢と、午前中の混乱した精神状態を素直に話した。

「あーそれで、俺のことを『雪村』か『ユッキー』かって、わけて考えてたのか。ていうか高橋さんと仲悪かった頃の『雪村』の俺ってそんな気絶するほど、怖い存在だったの?全然知らなかったんだけど・・・・。高橋さんに申し訳なさ過ぎて、なんて謝ったらいいか分かんねーよ。ホントごめんな・・・」

「いや、私の方こそホントにゴメン、今のユッキーはすごい優しくしてくれてるのに、昔のことで恐ろしがってしまうなんて・・・・でも今の味方になったユッキーと、あの頃の雪村って、私の中で完全に別人で・・・ユッキーは、私の友達で温厚でたまに面白い良い人なんだけど。雪村のことは、今でもおっかないの・・・。でも・・・雪村が悪い人だなんて思ったことは一度もなくて、むしろすごい優しい人で、ハルキのためを想って、私に怒ってるってすごく伝わってきたから、私がハルキにしてることが間違ってるって、思い知らされてしまって、辛くなるから苦手だった。それでも私は・・・ハルキのことが心配で、おせっかいを焼くのをやめられなかったから、雪村のハルキを思う、心から誠実な正しさが、ひたすらに怖かったの・・・。」

「そんなこと考えてたのかよ高橋さん!?今高橋さんから聞かなかったら、俺一生知らないままだったよ、そんなこと、思いつきもしなかった・・・!そんな考え方できる高橋さんの方が、俺よりよっぽど優しいだろ!!そもそも高橋さんを不当に虐げてたのに、俺なんか全然正しくねーよ・・・・。そんなに俺のこと怖かったのに、よく毎日教室来たな。ホント根性あるよ。」

「あの時は、ハルキを病院行かせなきゃって、それしか考えてなかったから・・・でも、今もう一度同じことやれって言われても、とてもじゃないけど、もうできないよ。私ホントはいくじなしだもん・・・・。」

「高橋さんほど頑張れる女の子が、いくじなしだったら世の中の人間は、皆いくじなしだよ。」



◇◇◇◇◇◇◇◇



「――――ということがさっきあって、高橋さん貧血もあるらしくて、具合悪そうだったから今日は早退したみたいだよ。」

 休み時間、雪村は先ほどの出来事の全てをハルキに報告した。



「・・・・・マジかよ・・・俺、罪悪感で死にそうなんだけど・・・・・今。」
 ハルキは、机の前に座った姿勢で、両肘を机の上について頭を抱えて項垂れた。

「そんなこといったら、俺だってやべーよ・・・・、気絶するほど怖がられてたんだぞ、お前以上だわ・・・・。」

 ハルキの近くの空席を借りて、彼と向かい合わせに座った雪村も、思わずハルキと同じようなポーズになる。


「雪都・・・・お前は、俺に協力してくれてただけなんだから、別に何も悪くねーだろ。お前が罪悪感感じちまったら、なおさら俺の罪悪感が増すだろ・・・頼むからお前は、気に病まないでくれ・・・・。」
「高橋さん、午前中が特にやべーみたいだから、登校中が一番心配だな、呆然としながら歩いてて、交通事故とかに遭わないといいんだけど。」
「心配だから、明日から俺朝、ナツオんち迎えに行って、しばらく一緒に登校するわ。」
「あー、それがいいな。そうしてくれると俺も安心だ。」




『ナツオ、雪都から話を聞いた。早退したみたいだけど、体調は大丈夫か?無理しなくていいが、もし明日登校できそうだったら、俺に連絡をくれ。これからしばらく朝お前んちに迎えに行くから、一緒に登校しよう。』

 ハルキは、ナツオにメッセージを送った。それを受け取ったナツオは戸惑う。

『体調は落ち着いてるよ。だから明日は、普通に登校できると思う。でもハルキんちと、うちってかなり離れてるし、ハルキがうちに寄ってから登校すると、めちゃくちゃ遠回りになっちゃうから悪いよ!私一人でも全然平気だよ!』

 ナツオがそう返信を返すと、まもなくハルキから電話がかかってきた。

『あ、もしもし、ナツオか!』
「うん、メッセージの件?」
『頼むナツオ!俺のせいでこんなことになっちまって、ホントに申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ。せめて登校くらい一緒にさせてくれ!お前を一人で登校させて、もしなんかあったら、俺生きていけねーよ・・・・!』
「おおげさだよ・・・・ハルキ。ホントに大丈夫だよ。」
『登校中に倒れてんのに、大丈夫じゃねーだろ!とにかく、明日お前んちまで迎えに行くから!あと、俺が迎えに行っても、そん時に具合悪かったら、無理して行こうとせずに休みたいって言ってくれよ・・・!』
「わかったよハルキ・・・ありがとう、じゃあ明日家で待ってるね。」

 ハルキの勢いに負けて、ナツオは彼の提案を受け入れたのだった。

 それから一週間後。

 その日の朝も、ナツオは登校の支度を終えて、ハルキが訪ねて来るのを待った。今日は悪夢をみていないので、気分はそこまで悪くなかったが、少し貧血気味のせいか軽いめまいがした。

(ちょっと体調良くないといえば良くはないけど、このくらいなら、登校しても大丈夫かな。私があんまり休むと、ハルキたちが心配しちゃうし・・・・しっかりしないと・・・・。)

 そんなことを考えていると、家のインターフォンが鳴った。ハルキが迎えに来たのだ。

「おはよう、ナツオ!体調は大丈夫なのか?無理するなよ?」
「うん!全然平気だよ!ありがとう、じゃ、学校いこっか!」

 ここ一週間、ナツオの体調は悪夢と貧血のコラボレーションで、あまり優れない日が続いていた。学校にはなんとか通えていたが、お昼前に早退してしまった事もあったので、ハルキにかなり心配をかけてしまっているのが、心苦しかった。だから多少無理をしてでも、学校にはきちんと通いたいという思いが強く、一度はそう言って歩き出したものの、学校に着く手前あたりで、見事に体調が悪化したナツオはふらついて倒れかけ、ハルキに抱きとめられた。

「お、おい大丈夫かナツオ!!?」
「ゴ・・・ゴメン、ハルキ迷惑かけて・・・・あとちょっとで学校だから平気・・・・」

 平気と言っている割に足に力が入らず、ハルキに支えられた状態から、ナツオは自立することができない。

「いや、全然大丈夫じゃねーじゃねーか・・・学校行くより今日は家帰って、ゆっくり休め。俺が背負っていくから心配するな。」
「えっ!?ここから家まで私を背負って帰る気!?遠すぎる・・・。いいよ!!大丈夫だよ!そんなのハルキに悪すぎる!!」
「遠くねーよ!俺一応男なんだから、お前ひとり背負って、たかだか20分程度の道のりを歩く位なんでもねー!気になるなら、タクシーとか呼ぶけどタクシー代は、俺が出すからな。」
「どっちもハルキに悪すぎるよ・・・・・」

 結局ナツオは、ハルキに背負われて、家まで送ってもらうことになった。
 ハルキはナツオを背負ったまま、家に入るとベットの上までナツオを運ぼうとリビングの前を通って、ナツオの部屋へ向かった。家には潮が居り、リビングでテレビをつけようとしているところだった。まだパジャマ姿で今しがた起きてきたような雰囲気だ。ハルキに背負われているナツオの姿を見ると「あらら」という表情を浮かべた。

「あ、お邪魔してます。潮さん。」
「おお、ハルキ、悪いな面倒見てもらって。ナツオ・・・お前また早退したのかよ。一体ハルキとどんなスゲーケンカしたら、そんな状態になるんだ?今の仲良いお前らしか見てねーから、全然想像つかねーんだけど・・・・。」

 詳しくは話していないが「ハルキとのケンカの後遺症で、ちょっと精神的に参ってしまっただけで、深刻な病気ではないから、心配しないで。」とナツオが説明していたので潮は、いつものマイペースな口調で不思議そうに二人を見て、そう言ったのだった。

「潮さんは、今日は休みですか?」
「いいや、ちょっといつもより遅めの出勤なだけだ。これから支度して出るよ。行きも遅いけど、帰りも遅くなりそうだなー。晩飯自分で作れそうかナツオ?」
「大丈夫・・・・だと思う・・・多分・・・・。ダメだったらお腹特に減ってないし抜かしても大丈夫だから心配しないで。」
「それ大丈夫って言わねーだろ。困ったなー。今家にレトルトとかすぐ食えるもんなんもねーや。俺も今から飯作ってたら、時間なくなっちゃうし。どうすっかな。」
「あ、大丈夫ですよ、潮さん、俺、その辺のコンビニかスーパーでなんか夕飯になるもの買ってから学校行くので。」
「ええっ!?ハルキそれは悪いよ!」
「いや悪くねーよ。ところで、お前昼飯はなんかあんの?」
「うん。昨日の夜作ったお弁当があるよ。」
「じゃー晩飯だけか。何か食いたいものある?ていうか何が食えそうなんだ?食欲なければ、スープとか、おかゆのパックとかにしとくか?」
「あ・・・ありがとう、そうだね、おかゆとかがいいかな・・・。」
「ワリ―なハルキ、金渡すから、余った分は、お前の昼飯代にでもしてくれ。」
「え、いや金なんていりませんけど。俺が出します。」
「それは、さすがにワリ―わ。お前バイトもしてないんだから、財布厳しいだろ。買ってきてもらえるだけでも助かるんだ、金くらい出させろ。」
 結局潮の言葉に従い、ハルキは代金を受け取った後、ナツオの食事を買い学校へ向かって行った。

(ハルキに申し訳ないことしちゃったなあ・・・これなら、最初から休んでおいた方がマシだった・・・・。)

 ナツオは、自己嫌悪に襲われた。



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