第8話-5
ナツオが夢にうなされなくなるまで、それから一か月ほどかかった。精神面はまだ時々不安定になるが、それでもゆるやかに、体調は快方に向かっていった。 季節は三月中旬になった。今でも、ハルキが朝迎えに来て、ナツオと一緒に学校に行く日々が続いている。一緒に登校する以外にも、ハルキとはたまに一緒に帰ったり、学校で話したりする関係が続いている。雪村、八峰や武田とも相変わらず学校で会う友達という感じだった。 いつも通りハルキと登校している時、何気なく勉強の話になった。 「うーん私、数学は割と得意だけど、英語の文法とかが少し苦手かなあ・・・ネイティブのリックに、勉強教えてもらいたいかも。」 「え、リックのやつ、英語の文法はそれ程得意じゃねーぞ?こないだリックが、ウチに来た時は、テスト対策で俺がアイツに文法教えた。」 「ええっ!!嘘でしょ・・・!?リック、アメリカ人でしょ!!?」 意外な事実にナツオが驚きの声を上げた。 「俺も意外だなって思ったけど、アイツが日本来たのって小学校、四年生の頃じゃん。日本の高校生が勉強するような難しい文法、アメリカ人でも、その歳じゃまだ身についてねーし、日本の高校で、初めて勉強することになったんだから、『日本人でも国語の勉強が、得意な奴ばっかじゃないのと一緒』だって言ってたぜ。それきいて、確かになー、って納得したよ。でもリック、リスニングとスピーキングはめちゃくちゃできる、俺より遥かにできるよ、そこはさすがネイティブだなって感じだよ。」 「へー・・・そうなんだ。私もテスト対策にハルキに教えてもらいたいなあ・・・文法。」 「え、別に構わねーよ。今日でも明日でも、お前の好きな時に一緒に勉強しようぜ。」 「え!いいの!?」 「いや、リックが良くてお前がダメなわけねーだろ。」 「ありがとうハルキ!じゃあ明後日、土曜日で休みだし、お昼くらいからどっかで勉強しよ!」 「あーじゃあ、久しぶりに俺んちでも来る?お前の体調悪ければお前んちでも良いよ。」 「ハルキの家、行きたい!」 「オッケー!じゃ適当に昼頃こいよ。父さんいるから、先に三人で飯でも食い行こうぜ。」 「ありがとうハルキ!!楽しみだよ!!」 ナツオは、無邪気に喜んだ。ハルキとまた仲良くなれた事が本当に嬉しくて、その日は、一日中明後日にハルキの家を訪ねることばかり考えて、幸せな気持ちで過ごした。 子供の頃と、全く変わらない態度のナツオの無邪気な笑顔を見たハルキは、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちをナツオに抱いたが、ナツオがそんなハルキの心中に気づくことはなかった。 翌日 「いったー!!!」 「うおっ!高橋!いたのかよ、お前小さすぎて見えねえんだよ!」 「えええ!?私武田の視界に入らないほど小さいの!嘘でしょ!?」 昼休みハルキの教室に遊びに来ていたナツオは、前方から歩いてきた武田に思い切りぶつかられたのだった。わざとぶつかられるよりはマシといえばマシだが、見えなかったというのもかなり傷つく。ナツオはがっくりと肩を落とした。 「本当に視界に入らなかったの!?じゃあ武田は葉瀬っちともよくぶつかるの?」 「花菜子は、お前よりずっと背え高ぇだろ!アイツくらい身長あれば、普通に見えるよ。お前まじで小さすぎんだよ。肉眼で見えねーって、ミジンコかなんかなんじゃねーの?」 武田は半笑いになりながら、ナツオをからかった。ナツオは武田の言葉に、かなりのショックを受けた。 「ナッツン、アッちゃんにミジンコって言われてんのかよ!アハハハハ!確かにハルキが「チビ助」になんなら、お前のサイズは、ミジンコレベルだな!!ハハハハ!!」 二人の会話を聞いていた八峰まで、一緒になってナツオを笑いだす。 「アッちゃん!ハチ!!!!アナタ達女の子に向かってミジンコはないでしょ!!!小学生の男子じゃないんだから、おかしなこと言うんじゃありません!!お母さん恥ずかしいわ!!!」 無神経な二人の発言を見かねた雪村が、お母さんモードで二人を窘めた。 「うう・・・ありがとう、ユッキー・・・」 「気にしなくていいよ高橋さん。こいつらの脳みそのサイズの方が、よっぽどミジンコだよ。」 雪村がさらりと毒を吐きながら、八峰と武田に良い笑顔を向けた。雪村はイラつくとお母さんモードになったり、たまにこういうふてぶてしい意趣返しをしたりする。ナツオはそのたびに「ユッキーって面白い人だなー」と思うのだった。雪村がかばってくれたおかげで、沈んだ気持ちがすこしだけ楽になった。 その時ハルキもそばにいることはいたのだが、何やら一人で考え込んでいるような表情で、ナツオたちの会話は一切耳に入っていない様だった。ハルキはこのところ、時々物思いにふけっているなーとナツオは思った。 (ハルキ・・・またなんか悩み事とかあるのかなあ・・・・) ナツオは少し心配になった。その日の夜、タイミングが悪いことにナツオは毎月の物が訪れてしまった。 そのせいで、翌日の精神状態はいつになく不安定なものになってしまった。毎月生理前と生理中はやや情緒不安定になるが、今回はそれがいつもの比ではなかった。例の悪夢も久しぶりに見てしまい、朝から涙が止まらなくなっていた。 (どうしよう、せっかく楽しみにしてたから、ハルキんち行きたいけど、こんな精神状態で行ったら、ハルキにまた心配かけちゃうかなあ・・・・) それでも別に頭が痛いとか、貧血とか、体の症状は一切なかったので、やはりハルキの家に行きたいという気持ちが、勝ってしまった。身支度を整えると、十一時半位には、ハルキの家のインターフォンを鳴らしていた。 「おう、ナツオちゃんか!いらっしゃい、よく来たな!」 一輝が玄関を開け、ナツオを部屋の中へと招いた。 「ナツオちゃんこの前はバレンタインデーのチョコありがとうな!すごく美味しかったよ。」 「あ、いいえ!ハルキからお返しもらいました!たいしたものじゃないから、お返しいらなかったんですけど、気を使ってもらってありがとうございます。」 そんな話をしながら、廊下を歩く。ナツオはバレンタインデーチョコのお返しに、二人からそれぞれ、クッキーなどのお菓子をホワイトデーに受け取っていたので、自然とその話題になったのだ。 「ああナツオ、来たか。これから昼飯どうしよっかって、父さんと話してたとこだ。どっかその辺食いに行っても良いし、簡単なものでよければ俺が作るから、家で皆で食ってもいいし。お前はどっちが良い?」 ナツオが一輝とともにリビングに入室すると、ハルキが穏やかに微笑みながらナツオに話しかけてきた。 「え、お昼ごはんハルキが作るの!?」 ナツオは、意外そうにききかえす。 「うん、別にそれほど料理得意ってわけじゃねーけど、いつもだいたい、父さんと交代で作ってるよ。今日は、たまたま俺が当番なんだ。」 「私ハルキの料理食べてみたい!」 「じゃ、ウチで食うか!何作ろーかな?今冷蔵庫にあるもんだと、かに玉とか、オムライスとか、ミートソースのパスタとか、ナポリタンとか・・・あ、ツナ缶あるから和風パスタとかもできるな・・・・あと野菜あるからサラダとか、野菜炒めとかも作れんなあ。ナツオは何食べたい?」 「え、私が決めていいの?」 「ナツオちゃんがゲストなんだから、もちろんだよ。なんでも・・・ていう程は種類ないけど好きなものリクエストしてくれ。」 ハルキも一輝も、ニコニコしながらナツオの返答を待っている。二人からすればナツオはハルキの命の恩人なので、このくらいの対応は普通なのだが、ナツオは二人からそろって優しくされて胸が熱くなった。 「あ、じゃあ、オムライス・・・・食べたいかな。いい、ハルキ?」 「オッケー!じゃあ、ついでにサラダと、簡単なすまし汁作るよ。これから飯炊くからちょっと待ってて。」 ハルキはそう言って、リビングから退出してキッチンへと向かっていった。 「ナツオちゃんも、ソファーにでも座ってて。」 一輝が、ナツオをソファーに誘導した。ナツオは、一輝が座っている席からテーブルをはさんで反対にある席に腰かけた。 「今日は、ハルキと勉強しにきたのか?」 一輝が、ナツオに話しかける。一輝は、自分の子供にも女の子がいるせいか、歳の離れた女の子であるナツオ相手でも、苦手意識がまったくないようだった。子供のころ自分を男子だと思っていた時とも態度がほどんどかわらないし、「優しいお父さん」を絵に描いた様な人だなーとナツオは思った。 「あ、はい。ハルキが英語得意みたいだから、教えてくれるって言われて。ハルキってバイトしたりとか色々やってたのに、テストの成績いつも良いみたいで、いつ勉強してるんだろうって、ホント不思議です・・・。」 「確かに成績は、中学の頃も高校入ってからも、ずっと良いな。今はともかくちょっと前までは、勉強する時間的余裕も心の余裕もなかったはずなのに、考えてみると凄いな・・・。」 「私、勉強もそれほど得意ってわけじゃないし、背もめちゃくちゃ低いし、ハルキに比べてホントなんの特技もなくて悲しくなります・・・・。」 はあ・・・・とため息をついた。昨日武田から、ミジンコ呼ばわりされたのを思い出して気持ちがまた沈んできたのだ。 「いや、何を言ってるんだナツオちゃん。ナツオちゃんは、めちゃくちゃ可愛いじゃないか!!おじさん高校生になったナツオちゃんを初めて見た時、小学生の頃のあのナツオ君だとは全然気づかなかったけど、そこら辺の芸能人やアイドルより、ずっと可愛い女の子だなあと思って、すごく驚いたよ!それだけ可愛ければ、学校でも男子からモテるだろ?」 「・・・・え?おじさん、私のこと可愛いって思ってるの!嘘でしょ!?私全然モテないよ!昨日も武田からぶつかられた時、背が小さすぎて見えなかった、お前ミジンコだろって言われてすっごいショック受けたの、今もまだ引きずってます・・・。」 「武田君・・・女の子にそんな事を言うなんて、ひどいなあ・・・。」 「おじさんは武田より背が高いから、私なんてなおさらミジンコに見えてるだろ―なって思ってたから、可愛いなんて言われたのホント意外です。」 「おじさんがナツオちゃんを、ミジンコなんて思うはずないだろう。武田君がおかしいだけだ。それに男でナツオちゃんほど小さかったら、もう少し大きい方がカッコいいと思うかもしれないが、ナツオちゃんは女の子だしすごく可愛いんだから、小さかったらなおさら可愛いじゃないか!小さいことなんて、全然短所になってないよ!」 「私、男の人から可愛いなんて言われたの、生まれて初めて!可愛いなんて、ウッシーにすら言われたことないです!!嬉しい・・・!!武田にミジンコって言われて沈んでた気持ちが、吹っ飛びました!!」 「えええ!?初めてなんて、おじさんはそっちの方が、ものすごい意外なんだけど・・・・」 誰がどうみてもナツオが、かなりの美少女なのは間違いないはずだ。それなのに、可愛いとすら言われたことがなく、学校でもモテないなんて、どう考えても一輝には不思議だった。なぜなんだろう??・・・と頭をひねらせた。 そうこうしているうちに時間がたち、炊飯が終わったメロディーがリビングにまで聞こえてきた。 「お、飯が炊けたな。ナツオ、父さん。自分の分の飯皿によそってくれ。そしたらその量でオムライス作るから。」 ハルキが、そう言って二人をキッチンへ誘導した。ナツオはしゃもじを持たされたので、お皿に自分の食べきれそうな量のご飯をよそった。 「え、ナツオ、お前そんだけしか食わねーの?!遠慮しなくていいから、腹いっぱいになる量よそっていいぞ?」 ナツオのよそったご飯の量をみたハルキがナツオに話しかけてきた。 「え、私全然遠慮なんてしてないけど・・・?ハルキ、私のことそんな大食いだと思ってたの?」 ナツオは困惑した。普通に自分の食べれる量をよそっただけで、遠慮したわけではない。 「ハルキ・・・女の子の食べる量なんて、そんなもんだ。朱美だってそのくらいしかいつも食べてなかったぞ。」 「え、そうなのか?俺朱美のこと、あんま知らねーからなあー。悪いナツオ!俺女子の友達お前しかいねーから、女の食べる量が分かんなかっただけだ。大食いだと思ったワケじゃねーから、気を悪くしないでくれ。」 一輝から指摘されたハルキは、申し訳なさそうにナツオに謝った。 「え、うん別に気にして無いよ。」 そう言ってナツオは、持っていたしゃもじを一輝に渡す。今度は、一輝がご飯をよそりだした。 それが終わると、最後にハルキが、自分のご飯を皿に盛る。今度はナツオが、二人の皿に盛りつけられた米の量を見て驚いた。 「え・・・・!?二人ともそんなに食べるの!?その量って、普通なの!?それとも二人ともすごい大食いだったの・・・!?」 「え、多いのかこれ?お前に比べれば確かに大盛だけど、男だったら、これくらい普通の量だと思うけど。」 ナツオが驚いた事に、ハルキも驚いて返事をした。 「そうだなー、おじさんもハルキも身長ある方だから、もしかしたら普通よりちょっとくらいは多めかもしれないけど、全然大食いって程じゃないな。このくらいの量食べる男なんて世の中に山のようにいるよ。」 「そ・・・そうなんだ・・・私比べられる人ウッシーしか知らないけど、ウッシーはそこまで沢山は食べないから・・・・。」 「あー・・・あの人は細っせーからなあ。というかナツオ、お前男の友達たくさんいそうな感じなのに、比べられる人潮さんしかいねーのかよ。スゲー意外なんだけど。」 ハルキが、驚きの目でナツオを見た。 「え、そう?私女の子の友達とは、一緒に外食したりとか、お弁当食べたりとか、色々あるけど、男子とご飯を一緒に食べた事なんて一度もないよ。今日が、生まれて初めてだよ。」 「ええっ!!そうなのかよ!!じゃあ、男の手料理も俺が初めてじゃねーか!これから作るのに、スゲー緊張してきたよ。」 「大丈夫、ハルキなら多分、おいしく作れるよ!」 「へえーナツオちゃん、男の子の仲良い友達、ハルキくらいしかいないのか。彼氏とかは?そんな可愛いのに、いたことないのか?」 一輝が興味津々といった感じで、ナツオに問いかけた。 「おじさん、まだ私のこと可愛いって言ってくれるの?嬉しいなー!彼氏かー・・・。中学の頃に、別のクラスの知らない子から告白されて、付き合ったことがあるんだけど・・・・一日でフラれちゃった事があるんです。その人が、今のところ最初で最後の彼氏かな。」 「えええっ!?一日で!?なんで、一日でフラれちゃったんだ?」 一輝が、驚いてナツオにききかえす。 「んー・・・・なんか、思っていたのと違うって言われて。私も何がどう思ってたのと違うのかは、今でもわからないです。でもそれ以来、誰かと付き合っても、またすぐフラれちゃうんじゃないかって考えたら怖くなっちゃって、それ以来誰とも付き合ってません。」 「ふ・・・・ハハハ!スゲーお前らしいな・・・!!」 ハルキが、やけにほほえましそうに、笑ってナツオの顔を見た。 「え、どうして私らしいの!?ハルキには、私がなんでフラれたか理由が分かるの!?一体なんでなの?私、知りたいんだけど・・・。」 「ナツオちゃんらしいって、どういうことだハルキ?父さんも、全然理由が分からないんだけど・・・??」 「ナツオは、見た目と中身にスゲーギャップがあるからだよ。子供の頃からだったけど、高校生の今はますますそのギャップ大きくなってるよ。大抵の人間は、それに驚くと思うけど、お前が全然自分で自覚ないのが、俺は逆に不思議だよ。」 「ギャップ?何それ?私、何がどう見た目と中身に、ギャップがあるの??全然分かんないんだけど。」 「お前その見た目で、スゲー勇ましいじゃねーか。でも俺はお前のそういうとこ、お前の長所だと思うけどな!」 「ハルキ・・・女の子に勇ましいは、あまり誉め言葉ではないぞ?だいたいナツオちゃんのどこら辺が、勇ましいんだ?大人しくて、優しい子じゃないか。」 「俺は別に、ナツオが大人しくて優しい子じゃないなんて、一言も言ってねーよ。それにプラスして、勇ましいんだよ。ナツオの勇ましさは、そこら辺の男の比じゃねーよ。」 「ハルキ、それは褒めてくれてるの?」 ナツオは、純粋に疑問に思いハルキに尋ねた。 「褒めてるよ!お前の長所だって言ってんじゃねーか。」 「そっか・・・・ハルキが褒めてくれるなら、ギャップ?あってもまあいいかなあ・・・ありがと!」 (大人しくて、優しくて、勇ましいって・・・・一体どういうことだ??優しいはともかく、大人しいのと勇ましいのって両方同時に成立しないだろ・・・。) 一輝は一人でしばらく考え込んだが、結局ハルキの言葉の真意は理解できなかった。 |