第9話-7




 学校から帰宅し、リビングでくつろいでいるところに、家の電話が鳴った。家族が全員外出中で家に一人しかいなかった彼は、その電話をとった。

「はい、久我です。」
「もしもし・・・真太郎か?」

 電話に出た彼、久我真太郎(くがしんたろう)は電話口から聞こえてきた声の主が、突然自分を名指ししてきた事に不信感を覚えた。相手が誰かわからなかったからだ。

「そうですが、どちら様ですか。」
「真太郎!!俺だ!友坂将一だ!」
「友坂・・・ああ!たしか小学生の時一緒のクラスだった友坂か?うちの電話番号知ってたのか?どうしたんだ?」

 真太郎は友坂が名乗ったことで、彼の存在を思い出した。特別親しかったわけではないので、小学校卒業以来、一度も会っていなかったし、電話で話すのもこれが初めてだった。

 友坂は会わない間に声変わりをしていたので、声が以前と全く違っており、真太郎は、電話越しの声だけで気づくことができなかった。真太郎も声変わりをしていたが、彼の場合元々の声が低めだったので、地声が低くなったような印象を受ける声の変り方をしていた、だから友坂は声で真太郎だと気づいたのだ。

「すまない、真太郎に相談したい事があったので、友人経由でお前の連絡先を教えてもらった。今時間いいか?」

「ああ、別にかまわねーよ。」

 真太郎は、クラスのリーダー的存在だったため、周りの男子から困りごとの相談をされる事が多かった。小学生の当時、野球仲間だったナツオやハルキ達からみても、リーダー的存在だったが、クラスの他の生徒からも慕われていたのだ。

 だが高校生になった現在になっても、小学生時代のクラスメイトが自分を頼ってくるとは予想していなかった。それでも基本的に面倒見が良い真太郎は、特に嫌がることなく友坂の話に耳を貸した。

「え?ハルキが、悪い女に手玉に取られてる?」

 友坂の話をきいた真太郎は突拍子もない話に、思わず首をかしげた。女に篭絡されるというのが、ハルキのイメージではなかったからだ。

 真太郎は友坂と同じくハルキとも、小学生の卒業式以来一度も会っていなかった。いや、確か中学1年の時あたりに、一度だけ偶然会った事があったが、その時は小学生で別れた時と、ほとんど印象が変っていなかった。だから真太郎の中でハルキは、あの時のまま、純真で溌溂としていて女嫌いの少年というイメージだった。

 しかし、去年の9月ごろ市村から連絡があって、彼がハルキとケンカをしたという事も聞いていた。その時真太郎はハルキには会わなかったが、市村は昔の面影が無い程ハルキが荒れ果てた姿になっていると言っていたのを思い出す。ハルキが荒れた原因というのが、その女のせいだとしたら、厄介な状況になっているなと真太郎は思った。

「そうなんだ!それでハルキが、大分おかしくされてしまっているんだ!俺は友達として、アイツを救ってやりたいと思って、ハルキと話すためにアイツの教室へ行ったが、その悪女がハルキ以外にも、何人もの男を体で落として自分の言いなりにしていたせいで、一人、異論を唱えた俺はハルキ達から、手酷く非難されて挙句の果てに殴られてしまった。俺一人では、どうにもできない!力を貸してくれないか!?」

「力を貸すって、具体的に何をすればいいんだ?それに、ハルキ以外に何人くらい落とされてる男がいるんだ?」

「俺が教室に行った時は、ハルキを入れて5〜6人だった。全員その女に見事に篭絡されていて、こちらの言い分など全く通らない状態だった。せめてハルキと二人で話し合いたいんだが、俺は前回教室に行った時、ハルキから離れる様にその女に忠告をして、怒りをかってしまったから、真太郎・・・!俺の代わりにハルキと話をしてみてくれないか!?」

「なるほど。ハルキと話す位別にかまわねーよ。ただハルキがそんなに入れ込んじまってるなら、俺が話した程度で、解決できるかどうかは分からねーけどな。」

 友坂の熱苦しい口調とは対照的に、真太郎はいつも通り、冷静に受け答えをする。

「イヤ、それで十分だ。助かるよ!俺よりハルキと仲が良かったお前なら、なんとかできるかもしれない!!」

「ところで、お前らの高校ってどこなんだ?」

「新しい七浜高校だ!場所は、去年まで七ヶ浜高校だったところだ。今年から七浜と七ヶ浜がひとつの学校に合併されたんだ。」

「あー、あそこか。スゲー頭良い高校じゃねーか。あの進学校に男を漁りに来てる女がいるとは、意外だな。まあいい、うちの学校は明後日、ちょうど創立記念日で休みなんだ。放課後そっちの学校へ行くが、それでいいか?」

「ああ、頼む・・・!あっ、それと言い忘れていたんだが、その篭絡されている男の中に、あの武田もいるんだ、それだけ気を付けてくれ。」

「え、武田って・・・武田厚士か?!」

 真太郎は驚いて聞き返す。

「ああ、そうだ!アイツも完全に操られてる!下手なことをするとあの女の命令で、武田から攻撃される恐れがあるんだ、俺も危なかった!」

「武田とハルキを同時に落とすって・・・一体どんな女なんだ・・・。」

 そんな事あり得るのか・・・?と真太郎は思わず不可解な表情になってしまった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 2日後

 真太郎は、約束通りちょうど学校が終わるくらいの時間を狙って、七浜高校に赴いた。部外者は基本的に立ち入り禁止だったが、他高から部活の練習試合に来ている生徒たちがいたので、さりげなくその集団に混ざって、堂々と校内に入る事ができた。


(結構、広い学校だな・・・ハルキは10組か。それにしても、ノープランで来ちまったが、ハルキをどう説得したもんかなぁ。)

 
真太郎は頭をひねらせた。ハルキからも話を聞いてみないと分からないが、もし友坂のいう通りの状態だとしたら、部外者の真太郎がいくら「お前は騙されている、目を覚ませ。」なんて耳に痛い説得をしたところで、きっとハルキは聞き入れないだろう。それどころか、友坂のように、逆に真太郎に矛先が向いてしまい、状況が悪化するだけで、何も解決しない事だって十分あり得る。


(おまけに、あの武田まで手玉に取られちまってるとは・・・。)

 
 そんな事を考えながら、廊下を歩く。友坂に教室までの道筋をあらかじめ教えてもらっていたが、初めての場所な上に、校舎が広いので大分迷ってしまった。それでもなんとか、もうすぐハルキの教室である10組に辿りつきそうだ。放課後になってからずいぶん時間が経ってしまった様なので、真太郎はハルキがまだ家に帰っていない事を祈った。


「え、お前、久我か?うちの学校だったのか・・・?」

 
真太郎が10組の前に着くと、教室から出てきた武田が、真太郎と八合わせた。武田はいまだに校内の生徒の事を把握できていなかったので、真太郎がこの学校の生徒だと思ってしまったようだ。


「いや、違う。そしたら私服なのおかしいだろ。」

 
 武田に気づいた真太郎は、少し警戒したような表情でそう答えた。彼はこの学校の生徒ではないので、今日は白いワイシャツに黒いズボンという、制服姿の生徒達に混ざっても、それ程違和感ない私服を選び着て来ていた。

 パッと見、制服に見えたので間違えてしまった武田だが、指摘されそれに気づくとさっきより不思議そうな顔になった。外部生徒は普通校内まで入ってこないし、部活で来ているならジャージ姿なのが一般的だ。私服で来る用事というのが、思い当たらなかった。


「そう警戒すんなよ。別にお前とやり合うつもりなんてねー。何しに来たのか気になっただけだ。」

 
 武田は、真太郎の警戒した顔つきを見て、自分に戦意がない事を告げた。小学校の頃はあまり良い仲とは言えなかったが、高校生になった現在までそれを引きずるつもりはなかった。

 一方の真太郎の方は、そういう理由から警戒したわけではなく、武田が悪女に落ちているという話を、友坂から聞いていたせいだったのだが、そんな真太郎の心中に、武田が気づくはずもなかった。


「ああ、ちょっと人から頼まれ事をされてな。なんでもハルキが、悪女に騙されてるって聞いたんだが・・・?」

 
真太郎は、武田の表情を探るように、彼の顔を見ながら話した。例の「悪女」の話に武田がどういう反応を示すか、試してみたかったのだ。


「はぁ・・・?悪女ってお前それ誰から・・・・。っていうかお前、アイツの知り合いなんじゃねーの?なんで俺に聞いてくるんだよ。」

 武田は真太郎の問いかけに、気の抜けきった戸惑いの表情を見せた。武田は「悪女」と聞いてすぐ先日の友坂がナツオを攻撃した事件を思い出した。ナツオ悪女説の噂が、一体どこまで広がっているのか知らないが、真太郎とナツオは、確か友達同士だったはずだと思い、真太郎の反応を不思議に思ったのだ。しかし、そんな事を知る由もない真太郎は、武田からの予想外の回答に驚く。


「えっ?知り合い?俺が知ってる女なのか・・・!?そんなヤバい女、俺全然思い当たらねーんだけど!?」

「は・・・・お前、まさかソイツの名前すら知らずに来たのかよ?」

「そういえば名前とかは、何もきいてねーな。とりあえずハルキと話そうと思って来ただけで、その女と直接話す予定はなかったし。」

 
 武田は一瞬黙った後、何やら半笑いになって真太郎の方を見る。


「そうか、そりゃご苦労様なこった。でもまあ、その悪女とやらに、お前まで落とされない様に気をつける事だな!ハハハハハ!」

 
 そう言いながら、堪えきれないように笑い出した武田を、真太郎は不思議そうな顔で見た。


「なんで俺が落とされんだよ。そんなワケねーだろ。」

「どーだかな、アイツの「周りを自分の味方にする力」は、マジでスゲェぜ。最初敵対してた男達も今じゃ皆してアイツの味方だからよ!多分、ていうかほぼ確実に、お前もそーなると俺は思うけどな。」

「友坂の話通りなのか・・・。」


 武田の話を聞きながら、真太郎は思わず息を飲んだ。自分は、絶対大丈夫だとは思いつつもそこまで言い切られると、少しだけその女の事が怖くなる。


「友坂・・・?あー、やっぱりお前アイツに言われて、うちの学校に来たのかよ。」
 真太郎が「友坂」という名前を口にしたことで、武田の謎が一気に解けた。

「ああ、アイツの話じゃお前も落とされてるって聞いたけど、本当なのか?」

「ぷっ・・・そうだな!スゲー激しい女だからよ。俺も前にかなり大胆に挑発されて、あの時はホント焦ったぜ!こんなスゲー事する女いるのかよ!?ってな。」

「それも話通りだな・・・・そんなエロい女なのかよ・・・・・?!」

「ハハハ!!!アーハハハハハ!!」


 真太郎の言葉を聞くなり、武田はゲラゲラと大笑いしだした。真太郎は武田がなぜそこまで愉快そうに笑っているのか、その真意が全く分からなかったが、武田はそんな彼の戸惑う姿を意に介さず、笑いながらその場を去って行ってしまった。

 武田が去った後、真太郎が教室を覗くと、室内にはまだ結構生徒が残っていた。もしかしたら、このクラスは帰りのホームルームが長引いて、他のクラスに比べ放課後になってから、まだそれ程時間が経っていないのかもしれないと真太郎は思った。さりげなく入室して、中を見回していると声をかけられた。


「あれ?うちの学校の生徒じゃねーな?うちのクラスに何か用?」

 下校しようと出入口に向かって歩いていた雪村だ。


「あ、いや、神原春輝って奴、このクラスにいるか?」

「え、ハルキ?そこにいるけど、おーいハルキ!呼ばれてるぞ!」


 雪村が声をかけると、遠くの方の席にいたハルキが気づいて、こちらに向かってきた。


「えっ!?シンじゃねーか!!!お前久しぶりだな!!」


 ハルキは一瞬驚いた表情を見せた後、屈託ない笑顔を真太郎に向けた。真太郎はハルキと同じくらいまで身長が伸びていたが、雰囲気は小学生の頃からほとんど何も変っていなかったので、ハルキは一目で真太郎だと分かった。


「ああ、久しぶりだなハルキ!お前全然変ってねーな。」


 真太郎の方も、ハルキを見て同じ事を思った。大分身構えて教室に入ったのだが、「荒れ果てて別人のように雰囲気が変ってしまった」と言っていた市村の話は、一体何だったのかと拍子抜けしてしまう程、ハルキは、真太郎の良く知るハルキそのものだった。

「お前うちの学校じゃねーよな?どうしたんだ?」
「ちょっと、お前と話したいことがあって来た。これからちょっとだけ時間いいか?」
「え、なんだ話って?今日はもう帰るだけだし全然構わねーよ。今日天気良いし屋上にでも行くか?」

 そう言って真太郎と共に屋上へと向かった。昼休みにはお弁当を食べる生徒などで多少にぎわうが、放課後の今は他に誰も人がおらず、二人で話すには都合がいい環境だった。二人はフェンスの前に立ち、しばらく他愛ない雑談をしたが、話がひと段落したところで、真太郎が例の話を切り出した。




「え、俺が悪女に手玉に取られてる?」

「ああ、ちょっと人づてにそう聞いて気になってな。でも人から聞いただけじゃ分かんねーから、お前からもちゃんと話を聞こうと思って、今日来たんだ。」
「そうなのか、心配してくれてありがとな。でも倉谷の事なんて、誰からきいたんだ?」

 真太郎から「悪女」と言われたハルキは、真っ先に自分の母親である倉谷見栄を連想した。ナツオも友坂や輪太郎から悪女と言われていたが、その噂は事実無根だったので、ハルキの中ではナツオ=悪女という連想がされなかったのだ。

「クラヤ?その女はクラヤって名前なのか?」

「ああ、それは知らなかったのか、お前がどこまできいてるかは知らないけど、ソイツの名前は倉谷見栄だよ。でも心配するなシン、倉谷の件はちょっと前にもう全部解決してる。俺もやっと解放された気分だよ。」

 
 真太郎は「あれ?」と思った。武田が先程、例の悪女は彼の知っている女だというような事を言っていたのを思い出したのだ。


(俺は倉谷見栄なんて女、全然知らねーぞ。初めて聞く名前だ。)

 真太郎は少し不可解に思ったが、武田が何か勘違いでもしたのだろうと思い、あまり深く気にしなかった。


「そうか、解決して、お前がその女から解放されてるなら、良かったよ。俺が出る幕もなかったな。そういえばイチがちょっと前に、お前とケンカしたとかって、電話で言ってたけど、イチの話だとお前随分荒れてたんだってな?その女の事が、関係してたのか?」」

「あーいや、実はそうなんだよ・・・、あん時は本当に大変で、もしナツオがいなかったら、俺今頃どうなってたか・・・・。」

「ナツオ・・・?ナツオって高橋ナツオか?アイツ小5の時、いきなりいなくなっちまったじゃねーか、再会したのか?」

「ああ、北海道帰ってたみてーだけど、去年の9月頃うちの学校に転校してきた。それで俺の事、助けてくれたんだ。アイツにはもう感謝しかね―よ。」

「ナツオか・・・!懐かしいな!アイツが元気にしてるなら良かったよ。アイツスゲーむちゃやる奴だから、俺も心配してたんだ。でもなんで昔いきなり、いなくなったんだ?理由聞いたか?」

「いや、それが実は、アイツおん・・・」


 ハルキがそこまで言いかけたところで、真太郎のポケットに入っていた電話が思い切り鳴り出した。真太郎はハルキに「ちょっと悪い!」と言って、電話に出る。


「悪いハルキ!急用ができちまったから俺、もう行くな!また今度遊ぼうぜ!」

 
 電話が終わるなり、真太郎はそう言って、少し焦った様子でハルキの前から去って行った。何やら深刻そうな電話の内容だったので、ハルキの方も空気を読んで、そのまま真太郎を見送った。



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